見出し画像

手放した私を取り戻す旅

思い出したことがある
私は中学生の頃に自分の自信を
失ってしまって
そこから他人の目を気にして
何が正解かを基準にして選択して
生きてきていた

自分というものがどんどん失くなって
誰かが良いと言っていたからとか
誰かが決めたこととか
すごいと思う人が言うことなら
大丈夫とか、、、
自分より誰かに何かと委ねていた

安心というより正解が大事だった
思い出したのは、そんな時期に私が
放った一つの設定というもの
もう考える力が失くなっていて
何か自分で考えようとすると頭の中が
止まってしまって上手く考えがまとまらない
むしろ不安が勝って理由がわからなくなる

こんなに辛いなら誰かの言う事を
聞いてたほうが楽
誰か私の手をひいて、引っ張って欲しい
そう言って絵を書いた
私の手を誰かの手が握って上へと
持ち上げてくれる絵

これが今思うととんでもない
設定をしてしまったのだと気づく
これは私が私を手放した
私を誰かに委ねたことになる

そこから付き合う男の人は
モラハラ、パワハラ、だった
当時はそんな言葉はなかったけど
あの人達は私を対等に思っていなかった
一緒に暮らした人を最後に
もう男の人に委ねるのはやめにしよう
と思って社会にでた

それでも誰かの考えに環境に
思考が大きく影響されていった
楽しいこともあれば嫌なこともある
ついていけないと思っても
自分からそこを離れることは出来なくて
当時は悩んで病んでいた

その時に書いていたノートには
いつも同じことを繰り返し書いていた
「自信が欲しい、自信を持ちたい
自分を信じたい」
自分で自分を手放したことも忘れて
いても、魂はきっと取り戻そうと
していたのだと思う

辛い社会人生活から一度抜けて
当時付き合っていた人と結婚した
流れみたいな感じだったと思う
でもこの人なら幸せにしてくれると
思ったからやっぱり委ねた

結婚したら幸せになれるなんて
思っていたわけではないけど
期待していたと思う
ただ想像とは違ったとも思う

そこから10年以上経って
相変わらず誰かの考えに委ねて
何か答えを必死に探してきた
どういう思考が正解なのか?

ある人を知って現実想像や宇宙理論に
たどり着いた
この人がコミュニティを始めたので
迷わず入った求める幸せが手に入るって
思ったし願いを叶えられると思った

欲まみれの願いは手に入らなかったけど
外側に求めていた答えは自分の内側に
あるのだと知った
内側を見て自分の内側の声を聞くという
ことは自分を無視しないということ
自分を尊重するということ
自分を大切にするということ

それは今までノートに書いてきた
自分を信じるということができる
自信を持つということだった
そうやって少しずつ私は自分で
手放した自分を取り戻すことができた

取り戻した今やらなければいけないこと
私を誰かに委ねようとしたあの絵を
破いて設定を解除しなくてはいけない
もちろんノートはとっくにないけど
思い出したということはそういうことだと
直感で思った

誰かが幸せにしてくれるのではなくて
自分しか自分を幸せにできない
どうしたいかを考えていいから
自分が選んだ事を信じていい
私を思いやる大切にする
強くも優しい自分であり続ける

✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️✳️

この事を思い出して設定を解除して
設定し直したあと風邪を引いた
すごい長引いて咳やらくしゃみやら
鼻水がたくさん出て
いらないものをたくさん出したような
気がした

治りかけてきて、怠さが失くなって
体が楽になってきた時に
ふと思ったことがあって
「私はこの世界が好きだな
この国が好きだな
知らない誰かに支えられて助けられて
守られて生活出来てる感謝だな
私って本当に豊かな毎日の中で生きてる」
そう感じたんだよね
腹のそこからそう思った
そういう風に生きていこうって思った

私は過去を否定してきた
自分自身との対話は始まったばかりかも
怖いけど立ち戻って歩き直す時が
きたのかもしれない
何年かかるか分からない旅に
なるかもしれない
取り戻すものも返さないといけない
ものもあるかもしれない

なんとなくそういう準備ができた
いろんなことが内側から響いていて
あぁこれが私のままで生きるという
ことなのかもしれないと
誰にも委ねることなく
自分の内側を信じて生きれる

みぞおちのあたりから
嬉しさが込み上げてくる
多分、これをずっと望んでいて
やっと手に入れたんだな
そんな気がする
きっとそうなんだと思う🕊️

chiemi






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?