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『描いてみたいなぁ』という想いを大切にしたい。アトリエの子どもたちの色と形日記

「少人数でゆっくりと絵を描いてみたい。」
「もっと絵のことを知りたい。」

そんな女の子の想いから生まれたドローイングクラス。じっくりと目の前の対象を見る。私のたちの生活の中でモノと対話する時間がどれくらい確保されているのでしょうか。過剰な情報や慌ただしく街を行き交う人々の波にもまれ、子どもたちは一体どのようにして誰にも介入されない自分の特別な時間を獲得していくのでしょうか。

秋がやってきました。どんな状況の中でも変わらず 季節は巡り、動植物は健気に、また逞ましく生命を繋いでいることも感じます。目に見えない小さなウィルスは未だ私たちの営みを制御します。けれどもこの様な時 だからこそ、芸術表現にて心癒される空間や時間がやがて前向きな気持ちの転換へとなり得ることを 信じ、子どもたちとじっくり絵を描く時間を紡ぎ出しました。

今日は点描でお馴染み、フランスの画家ジョルジュ•スーラ の世界を子どもたちと分かち合うことにしました。

レッスン内容

9/12 15:00-17:00
デッサン〈古典模写〉
『スーラのデッサン模写にチャレンジ!』
『スーラについて』
点描でお馴染みのスーラのデッサンをもとに光と影を木炭やコンテで表します。
グランド•ジャット島の日曜日の午後は
図版や教科書で目にしたことがある方も多いでしょう。
この絵に描かれた人物の元となるデッサンや、関連作品からスーラの感性に迫ります。

**『グランド・ジャット島の日曜日の午後』 **(グランド・ジャットしまのにちようびのごご、仏: Un dimanche après-midi à l'Île de la Grande Jatte) は19世紀末フランスの新印象派の画家ジョルジュ・スーラの代表作である。点描法を用いて、パリ近郊のセーヌ川の中州で夏の一日を過ごす人々を描いた[1]。新印象派、ポスト印象派の時代のフランス絵画を代表する作品でもある。〈Wikipediaより〉

デッサンとは一体何でしょうか

線でモチーフを描く方法と光と影でモチーフを描く方法があります。
線で描くものは、例えばイラストやデザイン。
では、絵画はどうでしょうか。
それぞれに見えているものは絵であったとしても、意味や捉え方は異なります。

●イラスト=伝達、メッセージ
〈絵画とは役割が違います。〉
●デザイン=本質〈余分なものを削ぎ落とし本質を残す。デコレーションの真逆です。〉
●絵画=空間の捉え方
〈絵画的にものを捉えるとは空間のもののあり様を捉えていく力と言えます。〉

以上の3点を踏まえてデッサンを捉えると、空間を捉える力はデッサンで養われていくと解釈できます。
絵画は線や記号という概念ではなく、
人間の心が衝撃をうけ、感動し、時には混沌に誘い込むこともあります。
不明確さに美しさを見出していくものです。
デッサンはそんな人間の「生」や「営み」に迫ることが出来る一つの方法だと筆者は感じています。

鑑賞から表現へ 

「スーラ さんが生まれた時代は1850年…日本は江戸時代。そんな昔の絵が時を超えて今も私たちが見ているという奇跡。これはね、31年という短い生涯の中で残した何枚もの大作なんだ。スーラ さんは
くる日もくる日も絵を描いた。勉強熱心なスーラ さん。色の科学の本をたくさん読んでいたのですって。チューブから直接キャンバスに出した絵の具は目の中で混ざり合う。そんなスーラ さんのデッサンを集めてみたよ。ほうら。これだよ。」

そんな鑑賞から始まったデッサンクラス。
模写はデッサンという描きかたに出会うきっかけとなります。「見て描く」経験をする機会が少なくなった子どもたちにとって、意識的にこのような場所を設定することはとても重要です。それは自分の表現とじっくり向き合うための安全基地を提供されてきた子どもは、成長の過程で、予期せぬ逆境に直面しても自信を持って前へと進みだすことが出来るからです。自分の表現をありのまま受け止めてもらえた経験が多い子どもほど、逆境を跳ね返すレジリエンス(バネ)が太く、強く育っていきます。 

表現とは時にリハビリ

デッサンとはリハビリに近いものだと筆者は考えています。人が絵を描く時に求めるものが葛藤なのか、癒しなのか、その時々によって異なりますが、葛藤を超えた先に得られる喜びは、思い出せなかったことが思い出せた時の感覚に似ています。混沌が晴れ、脳のシナプスが繋がれたような感覚を何度も味わい、自分の中に成功体験を積んでいくことができます。
成功体験とは独りよがりなものではありません。
自分のアイデンティティ(私は私という感覚)が満たされ、それが土台となって他者を思いやることができるのです。

表現から鑑賞へ

スーラ という作家の価値観にせまること、自分の作品を仕上げることが本来の目的ではありません。
なぜ自分が今日その絵に惹かれたのか、その題材を選んだのかという問いかけが子ども達の作品に表れていきます。

出来上がった作品をみんなで鑑賞する。
ここが終着点です。
自分の作品を見て描いて終わるのではなく、
お友達の見方や、感じ方、考え方にせまってみる。
もてる言葉で思いを伝えてみる。
他者理解の醍醐味です。

以降、鑑賞会の中で聞けた子ども達の言葉です。

「描いた後にしんみりした。
「お友達の絵の影がくっきりしていていいなって。」
「明るいところと暗いところの間が難しかった。」
「顔や帽子、スカートのシルエットが大変だった。」
「月明かりの感じを出せた。」
「ちょうどいい感じを出すのが、難しかった。」

子ども達の言葉を文字に可視化すると、やはり「難しかった。」「大変だった。」という声が目立ちます。
デッサンにはリハビリの要素が多く含まれていることを痛感します。一方で、「〇〇な感じ」や、「いいな。」「しんみりした。」という言葉には、不明確でありながらも、美術の真髄が表れているように思うのです。

「不明確さの中に美しさがある。」

       作家クリスチャン•ボルタンスキ

言葉には明確に表せない領域を、子ども達は木炭の色や形で一生懸命に表現しようとしています。
筆者にはその探究する目や葛藤する手が美しいと思える。その過程を子ども達と分かち合えることに、いつも喜びを感じます。

          
        大人の図工塾管理人 米光智恵

『素敵なオ•マ•ケ』

葛藤のあとは癒し。私の描きたい絵を描いたよ☺️



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