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叔母が与えてくれたもの その2

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先日、叔母の葬儀が終わり、わたしは叔母がわたしに与えてくれたものについて思いをめぐらせた。

とても個人的な思い出の話です。叔母への感謝をこめて、そして気持ちの整理のためにも書きたくなりました。

その1 からのつづきです

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わたしにとって叔母は、解放者だった。

型にはまることが大きらいで、上っ面のことを言っていると、つまらなそうにする。しっかりこちらの話を聴きながら、本音のところをつっこんでくるので、率直な会話しかできなかったから、まず話すのがおもしろい。本音を引きだされた。

それに、こうしなさいああしなさい、など言わなくても、叔母そのものが生活をおもしろがって楽しんで、やりたいことに素直に打ちこんでいたから、その姿を見ているだけですでに、こちらの気持ちが自由になっていた。

そういう大人が身近にいてくれるって、なんて素晴らしいことだったのか、とあらためて尊く思う。(遠くに住んではいたけれど存在として近かった)

叔母のところに住まわせてもらった6ケ月間、雑木林歩きにキノコ狩りから野草摘み、お気に入りの表参道歩き、ひいきの農家さんの畑へ野菜を収穫にいったり、毎日の美味しい料理、集めている焼き物の器と料理の組合わせを考えたり、はじめてドリアンを食べたり、などなど叔母の日常の世界を体験させてもらったし、なによりたくさんおしゃべりをした。

海外旅行の話、叔母の教育観、そして叔母からみた、わたしの知らない両親の姿や、ほとんど会うことがなかった祖父祖母の逸話、初めて聞く親せきの話、などなど、自分のルーツについてもあらためて知ったことも多かった。

そして、

叔母は以前、わたしの実家に遊びに来たときに、わたしの父が子どもたちに厳しすぎると感じていたことをはじめて聞いた。叔母のことだから、父にもチクリといったのかもしれない。人を強く非難する、などはしない人だったから、言ったとしてもやわらかい笑顔とともに何気なくだったろうと思うけれど。

叔母は子どもたちがそんな風に抑えこまれてしまうことを、とても悲しんでいた。自分の親せきの子とかぎらず、どんな子も。

わたしだけでなく親せきの子どもたちの多くが、いろいろなカタチで叔母に世話になっていた。面倒見がよかったし、叔母は、どこか我慢をしている子どもたちをみて悲しく、もっと自由にさせたいと、ちょっとでも力になりたいと思っていたんだなぁ、と話していて感じた。

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そんな解放者としての叔母とわたしの縁は、占星術のホロスコープにもみてとれる。

叔母の型にはまらない自由な発想力は、星でみれば、水瓶座の水星と天王星の90度。その部分がちょうどわたしの月とかさなっている。

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このホロスコープをみながら、わたしが叔母と話すのが楽しく、考え方や生き方につよく刺激を受ける、という関係がここにもあらわれていたことに、驚きと納得を感じた。

水星は考え方やおしゃべり、月は基本的な欲求や親しみ、天王星は刺激や解放、をあらわす。

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そう、ホロスコープはそういう縁の不思議さをみせてくれる。自分の体験をまたちがう視点で確かめたり、あらたな発見があったり、するのはとてもおもしろい。

そのうえで、やはり思うのは、いちばん大事なのは精いっぱい生きている姿、その人の在り方そのものなんだ、ということ。

ホロスコープで縁があったとしても、本人が自分らしくその生命力を輝かせて生きていなければ、他の人を解放するほどのエネルギーをはなつことはない。

自分が自分を我慢させて生きている人は、無意識だとしてもまわりの人も我慢させてしまうから。

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叔母の葬儀で、離れて住んでいるいとこと久しぶりに、そしていとこの子どもにはじめて会った。20代はじめの素敵な女の子だった。

わたしは別れぎわにその子を見ながら、愛おしさや親しみを感じて、思わず「楽しんでね、これから、いろんなことを」と言った。

その子がのびのびと生きてほしいな、と思った。いつまでもそう願い力になれる大人であろうと思った。

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