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泣きながらご飯を食べた日

「母が血を吐いて病院に運ばれた」わたしが大学3年生のとき、当時付き合っていた彼の部屋で、父からの電話を受けた。

確か春休み期間中だった。わたしはすぐさま実家に帰り、母が入院する病院へと向かった。病室で横たわる母はすっぴんで、元々細かった身体はさらにガリガリになっていて、でも目だけがギョロっとしていた。「母」が、「病人」になっていることにぞっとした。

病院で、母は医者に病名を告げられた。

もう気づかないふりはできない、大変な問題に直面していることを自覚した。ドラマのワンシーンみたいだ、と他人事のように思った。一方で、はっきりと告げられたことに少し安心したのも事実だ。なにごとも名前が付くと安心するもので。

病名には、全くリアリティがなかった。だってその病気、何だかすごくドラマみたいな、不幸そうなイメージ。これまでの人生それなりに色々大変なことはあったけれど、でもそんな大げさな「不幸」といえるほどの日々ではなかったはず。

わたしって、不幸なのかな?

自問してみたけれど、わたしは明るい性格で友だちも彼氏もいて、グレずに成長して大学生活を謳歌している。未来は希望に満ち溢れているし、今日は天気だってこんなにいい。全然、不幸じゃない。


病院へ見舞いに来てもすることはなくて、病室のすみっこに座って本を読んでいた。世の中の人はお見舞いに来て何をしているんだろう、なんて思いながら、ぼーっと時間をつぶした。暇そうなわたしを見て母が「ごはんでも食べてくれば」と言った。

そういえばお昼ごはんを食べていなかった。そうしてわたしは、遅めの昼食をとりに、母が入院した市立病院のすぐ隣の、文化センターに併設した喫茶店へと向かった。文化センターは、子どものころ、ピアノ教室の発表会で何度か足を運んだ場所。喫茶店に入ると、お客さんは他に誰もいなかった。窓際に座って、ナポリタンを頼んだ。

その日は本当に天気がよくて、窓からは煌々と光が差し込んでいた。店内は明るくて、何だかキラキラと輝いていた。眩しい。その溢れんばかりの光の中でナポリタンを食べながら、わたしはただ、こんなふうに明るくありたい、と思った。明るくありたい。そう思ったら、涙が出た。わたしは明るくありたい。祈りのような、決意のような気持ちで、心底そう願った。


その後何年か経って、そのとき母が入院した病院も文化センターも津波で流された。しばらくがれき置き場になっていたけれど、その後はどうなったのかな。いろいろなことがあった。母はもういない。けれど、あのときのナポリタンと、喫茶店の光、そして明るくありたいという気持ちは、今もわたしのなかにずっと残っている。

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