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明日、わたしが居なくてもいいように

自分ひとりいなくても仕事は回るのよ
自分の代わりなんていくらでもいるわよ それが会社よ

おかざき真理「サプリ」

昨日は、いつも6時半過ぎに起きるひよこが5時半にリビングに下りてきて、ソファーでわたしに抱っこされて二度寝についたので、PCではなくスマホでnoteをしたためました。noteはUIがいいから、読むのはむしろスマホの方が勝手よく思えるけど、テキストを書くのは、わたしは圧倒的にPC派だな、とあらためて思いました。UIうんぬんではなく、「わたくしごと」によって。

ここは「私事」より「わたくしごと」やな、の修正もスマホだと手間だし、なんてったって、文字キーのせいで画面が上半分しか使えないのが、痛い。そこに至るまでの文章を通しで読んで、自分がこの後につなげたいことを探りながら書いているから、10行程度の表示では、上に下にスクロールするうちに、綴る調子が狂うのです。

それはさておき、インフルエンザがシーズン真っ最中ですね。隣の家の小学生は、昨日今日と学級閉鎖だそうで。保育園は学級閉鎖はないけれど、ひよこか自分がかかれば、1週間会社を休まないといけない(病児保育室も満員御礼中)から、まったく他人事ではありません。

育休から復帰して、もうすぐ3年目。短時間勤務のモヤモヤはあるけれど、「明日、わたしが居なくてもいいように」のスタンスでやっています。評価が味噌っかすでも捨て鉢にならず、無益にがんばって消耗せず、の重心を測ったら、今はここに落ち着きました。

明日急に休んでも、チームに血栓ができないように、わたししかできないこと、知らないことをなくすこと。それから、ToDoを前倒しで組むこと&「その日にやらないといけないこと」は1日3つ。トラブルさえなければなんとかなるはずの「ぎりぎり」は、気持ち的に穏やかでないので。切れない奇跡を願って綱を渡るよりは、その奇跡にすがらないように手筈する。奇跡を遠ざける。社会人として当たり前のことだけど、ほんまいつ居なくなるかわからなくなってから、はじめてちゃんとやり始めました。必要はなんちゃらの母。

家も、同じようにしていきたいと思いつつ、ココロザシナカバ(まだ倒れてないです、元気です)です。夫ひとりなら「あんじょうがんばって」ですが、ひよこがいるので。「何がどこにあるか/何をどこに収めるか」が瞭然な家づくりをしていきたいです。例えば、タオル。応援に来てくれた母が、白色は台所(手拭き用)、茶色と緑色は洗面所、厚手柄物はトイレ、薄手柄物は台所(洗面用)、と判るように。小さなことだけど、こういう「わからない」ストレスが積もって、どっかーんといきますもんね。

明日は、朝のタイムスケジュールの話か、食器棚の話か、GTDの話を書くつもりです。

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