ゾンビは、自分でゾンビって言わない
「(とりいそぎって)急いでるから、あんま長いメールできないってこと?」「充分、長いよね」「じゃあ、『おちつけ』ってメールしてみます?」「あ、それいいね。メールの最後にさ、『おちつけ』って書くの」
沖田修一「キツツキと雨 ユートピアを探して」
ついこの間まで、買い物途中でしんどくなると「だっこして~」とダイレクトに求めてきたひよこ。最近は、「赤ちゃんだから、歩けな~い」と、知恵がついたようなそうでもないような訴え方をするようになりました。わたしは「赤ちゃんは、しゃべられへん!」と返すのですが、そのたびに、映画「キツツキと雨」で小栗旬が放った台詞「ゾンビは、走れません!」を思い出します。
あらすじはサイトに載っていますが、気弱な監督(小栗旬)が山の中でゾンビ映画を撮り、その村の頑固おやじ(役所広司)が映画作りに巻き込まれたり巻き込んだりする話です。台詞の言い回しや間の取り方とか、トンデモにならないすれすれの話の展開の仕方とか、脇役やエキストラの人の衣装や言動といった細部にもちゃんとユーモアが込もっているところとかが、すごく好きでした。
劇中劇のゾンビ映画で、(エキストラの)ゾンビたちがわらわら迫ってくるシーンがあります。テスト撮りで、カメラに向かって「ゾンビ~」と叫びながら走り寄ってくるゾンビに、監督(小栗旬)が半笑いで「ゾンビは、走れません!」「ゾンビは、自分でゾンビって言わないし」ってぼやいて、まわりが爆笑するんですけど、なんか、その含蓄ある感じが忘れられなくて。
なんでゾンビは、走っちゃいけないんだろう?
ゾンビは、自分のことを何だと思っているんだろう?
メインストーリーの随所にそういう余白が挟まっていました。ゾンビ映画の全容は、「キツツキと雨 ユートピアを探して」で読めるのですが、まあまあ救いのない話で、そのシュールさと映画本編のほっこりさの狭間にも余韻が漂います。
もはや予告が予告をなしていませんが、明日は、13日の金曜日の話か、リサイクルの話か、仕事の話を書くつもりです。
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