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noteの編集画面と、朝の台所の、余白

人間が「私はこうです」なんて言ってるのは、たまたまその状況でそう言える余裕があるという前提があって思っていることにすぎない。

よしもとばなな「日々の考え」

昨日はじめてnoteを投稿したのですが、この真っ白な編集画面、いいですね。すごく好きです。ゼロ年代に、ommwriter というApple用のオサレエディターを使いたくて、でもWindowsユーザーなので叶わず、ハンカチを噛んだわたしとしては……って、いまググったら、いつの間にかWindows版も出てたんですね。これを投稿したら、ダウンロードしよう。noteはこの真っ白な画面で書けるので、使い道は当面ないけれど。

こんな風に脊髄反射でモノを呼び込むので、ミニマリストには到底なれませんが、それでも、「余白」は、確実にわたしの気力を充填してくれます。

ひよこが生まれて、ハハを24時間営業しているうちに、癒しを「ハレ」に求めなくなりました。しゃなりしゃなり行くごはんとか、ネイルとか、そういう類の。待ってられないんですよね、次を。間に合わない。へろへろ。消耗。ばたん。なので、いかに「ケ」で澱を溜めないか。気力を自家発電するか。

そうして行き着いたひとつが、「余白をつくる」です。モノを除ける。

わたしの1日の家事はお弁当づくりから始まるので、朝イチで「嗚呼…」と洩らさなくてすむように、リビングはしっちゃかめっちゃかでも、台所だけは整えて寝ます。晩ごはんの後片づけのときに、コンロの奥に(やかん代わりの)ミルクポットとごはん鍋を。流し台の天板は、浄水器とゴミ袋スタンドだけに。水切りカゴは、空にして拭いて。

五徳に鍋たちを置いて、天板にお弁当箱を並べて、合理的に「よーいドン」できる体勢にしたこともあったけど、わたしの中の人は、見た目にすっきりしてる方が、やる気が湧いてくるようです。

明日は、ひよこの制服採寸の話か、余白に興味のない夫の話か、短時間勤務の葛藤の話を書くつもりです。

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