マネー本位制とその限界について

人間社会にとり貨幣流通は便利なものである。現代においては必須のものになった。が、しかし、その利便性の高さゆえに過度に貨幣価値を持ち上げてしまい、「使用者である人間を使役する貨幣」という逆転現象が起きている。
1.利潤追求は「善」である。
2.すべての物事は情報であり、この情報は貨幣に換算できる。
3.「善」であるから、貨幣を得るためには手段を選ぶ必要はない。
この状況にある現代を僕は「マネー本位制」と呼ぶ。
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しかし、お金は流通してこそ十全にその意義を発揮できるという原理がある。
人間と人間とのあいだを循環することで、お金はお金たりうるという、ごくごく当たり前のことが忘れ去られしまっている。
現代の暴走は産業革命から始まったのだろうと僕は見ている。現実に生きる人間の力を超えた力を発揮できる各種機関の発達、交通手段の高速化、情報伝達の加速化など、身の丈を大きく超えすぎた急速で急激な変化の嵐に人間性は吹き飛ばされ、さらされてしまいすぎた。

  過ぎたるは及ばざるがごとし

人類の経済的膨張は、地球を有限化してしまっている。少なく見積もっても数百年単位というスパンでもって、人類は「この地球」にしがみつくしかないのだ。有限化した地球の中でさまざまなものを循環させなければ生存し続けることはできないだろう。こういう視点から地球に生きざるを得ない現実を捉えなおし、政治や経済のシステムを再構築しなければならない。

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