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幸せへの耐性


私は不幸好き、だと思う。

とにかく幸せであるということが不安なのだ。

ありがたいことに食べていける仕事があって
住む場所もあり、夫もいて
きっとこの平凡はいくつもの奇跡でできており
いわゆる「幸せ」なんだと思う。

ただ幸せそう、だと他人に言われると
そんなことないよ
わたしなんて全然、と
むしろわたしが幸せなんてすいません、と
思ってしまうことがある。

そして無理に不幸要素を探してしまう。
「わたしなんて、転職何回もしてるし」
「兄弟が多いせいで、親の愛なんて感じて生きてなかったし」
「本当は結婚する前に、好きで仕方ないひとがいたし」
「心の病気になったことがあるし」

不幸そうにみえることが
かわいそうだと思われることが
一種の承認欲求であるとは分かっている。

不幸になるのは、簡単だ。
過去のゴミ箱からゴミを拾ってくればいいいだけだから。

幸せになるのは、覚悟がいる。
未来を見据えて、壊してはならないプレッシャーを背負う。

だから、幸せへの耐性をつけなければならないと思っている。
簡単に不幸にならないために。


自分が今幸せなのか?幸せじゃないのか?
問いかけることはしないことも
大切なのではないかと思っている。

無理に二分化しない、ということ。
幸せ と 不幸 に分けないということ。

その評価には絶対に
「他人と比べて」という基準が
ついてくるから。

少し、答えが出ていないまま
書き出してしまった。

な。


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