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宗教にすがってなにかが変わるわけではないけど一応救いはある話

仏教徒ではないけど、私は仏教の思想が結構好きです。

こういう事を言っていると訝しげな目で見られることが多いです。

多分これは、日本が無宗教者が多いというところと新興宗教の影響力が強いことが影響していると思っています。

わたしは、よくわからないクソみたいな新興宗教でも信仰することは別にいいんじゃないかと思っています。

なぜなら、いいことかどうかは別として一応救いはあるからです。

ここでの救いとは、楽かどうかという判断基準です。

辛い現実より都合のいい幻想のほうが楽

辛い現実と向き合うより、都合のいい幻想に包まれていたほうが精神的に楽なことは事実です。

精神的に楽になれるのであれば、まぁ苦しいよりはいいんじゃないかと思います。

コントロールされている方が楽

自分で考えて決断して行動に責任を負うよりも、他人の言葉に従っていたほうが楽です。

なぜなら自分に責任がないから

人はだれかにコントロールされている方が何も考えなくて済んで楽なのだと思います。

こんな感じで思考を放棄することで楽になることはできます。

祈っても何も変わらない

信仰によって何かが変わるということはほぼありません。

変わることといえば、宗教コミュニティの中で「敬虔な信者だ!」「熱心で素晴らしい人だ!」といってちやほやされるぐらいです。

それを求めているのであれば、いいことではあります。

ただ、現状を変えるために祈ることは無意味です。

まやかしにすがらずに、現実と向き合うことのほうが大切です。

宗教とは体系的な哲学

宗教は体系的な哲学だと思っています。アドラー心理学みたいなもんです。

本来の宗教は、どういった考えを持つかということが大切なものであって儀式的なことはどうでもいいと思っています。

日本では宗教=儀式的なもの、というイメージがこびりついていますが、

新興宗教が洗脳の手段として利用してしまったことが原因だと思います。

ストーリー性をもたせやすく洗脳に利用しやすいということで多用されたのだと思います。

捉え方は人それぞれ

という感じで、

宗教にすがってなにかが変わるわけではないけど一応救いはあるので目的に合わせて使い分けましょうという話でした。

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