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【連載小説】 ふたり。(3) - side J

前話

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

5月5日 14:11

「かーおちゃーーん!」

わたしは、澤井さん、もとい、かおちゃんを呼ぶ。
かおちゃんは山道の脇にある茂みに入り、一眼レフを肩からさげて撮影に夢中になっていた。少しの間をおいて、かおちゃんが振り向き、小さく手を振る。

「おやつ食べよーーーー!」

わたしは続けざまに声を張り上げる。

「じゅんちゃん、ごめんね。いい感じの光が差してたから」

「いいのいいの、かおちゃんはシャッターチャンスを逃さない女だねえ」

「いやいや…そんな全然」

「やっぱ、中学MVPは伊達じゃ…」

ハッとして言葉を飲み込んだ。一瞬、かおちゃんの表情が曇ったような気がした。
つい口を滑らせてしまった。
「中学MVP」は、かおちゃんの前では禁句なのだから。

「ごめん、かおちゃん」

「…ううん!大丈夫、だよ。」

かおちゃんはそう言って微笑んだ。

「食べよっか」

「うん」

わたしたちは、写真友達として少しずつ仲良くなっていった。少なくともわたしはそう思っている。
今日はかおちゃん家の近くの裏山で、ふたりで野外撮影会だ。わたしは親に頼み込んでデジタル一眼レフの一番安いのを買ってもらった。かおちゃんのカメラは、お父さんからもらったものらしく、重厚な作りで、所々汚れていたけど、わたしには美しく見えた。

あの日、わたしたちは写真友達になる前に、LINE友達になった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

4月19日 19:16

澤井さんのお母さんが出してくれた極上のケーキも、家に帰りつく頃にはすっかり消化されてしまっていた。
部屋に荷物を置き、馴染んだスウェットに着替えながら、スマホをチェックすると、1件の通知が目に入った。

 澤井:またきてね

澤井さんからだ。
返事なんてもうもらえないと思っていた。
しかも、また来てねって。

急いで着替えを済ませると、わたしは返信の言葉を打ち始めた。

ありがとう!また来るからね!お母さんが出してくれたケーキが

あまりに長々となりそうだったので、ここまで打ったところで全部消去した。ここは、相手のテンションに合わせるべきところだ。すると、返事はこれが良さそうだ。

またくるよ

「送信…と」

このやりとり、なんか友達っぽくない?
高校に入ってから、クラスメイトと1対1でLINEすることがほとんどなかったわたしは浮き足立った。ただ、澤井さんは学校に来れないんだけど。

「来てくれないかな… 学校」

独り言が宙に浮かんだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

4月23日 17:00

今日も、かおちゃんの家に向かっている。
かおちゃんに連絡した通り、5時半までには着きそうだ。

忍足先生から預かったプリントは通学バッグに入れ、しっかり抱えている。

この3日ほどで、かおちゃんとはたくさん言葉を交わした。スマホの画面越しではあったが、やりとりはなかなか尽きず、不思議と気持ちが通じ合っている感覚があった。

 じゅんちゃんって呼んでもいい?

ある日のこと、かおちゃんから提案があった。

 いいよ!わたしも、かおちゃんって呼んでいい?

かおちゃんのお母さんがそう呼んでいたのを聞いて、わたしも呼んでみたいと思っていたところだ。

 いいよ。ありがとう。

わたしは「よっしゃー!」的なスタンプで喜びを伝えた。

電車の中でトークルームの履歴を眺めながら、1年前の記憶の中のかおちゃんの小さな声で脳内再生してみたが、なかなかうまく想像できない。直接会って話したら、どんな感じだろう。すごい人だと思って尻込みせず、1回くらい話しかけてみればよかったな。

ここ最近、野木さんからの写真部への勧誘はすっかりなくなった。ホッとしている反面、突き放されたようで少し寂しくもある。ごめんなさい野木さん、わたしには色々と準備が必要なのです。もうしばらくしたら…、1学期中には入部しようと思います。たぶん。

LINEでは、かおちゃんオススメのカメラの話、わたしがどんな写真を撮りたいかって話、たわいもない話など、写真友達と言って差し支えないほどのやりとりができた。電車の中でタイムラインを遡っては、1人で満足していた。そうだ、今向かってるって送っておこう。

この道もすっかり通い慣れた。途中に神社があって、コンビニの角を曲がって坂道に入る。まっすぐ登った先が、かおちゃん家だ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

同日 17:24

「いらっしゃい大空さん」

お母さんが玄関で出迎えてくれる。相変わらずお綺麗でいらっしゃる。

「どうも、こちら本日のプリントです」

本日のオススメです、と料理を差し出すウェイターみたいな口調になってしまい、お母さんにプリントを差し出しながら1人でフフッとなってしまった。

「はい、どうもありがと… あら?」

お母さんが振り向いた先から、人の気配がした。
気配の主は、ゆっくりと姿を現した。

「じゅん、ちゃん…」

かおちゃんだ。記憶の中にあった小さくて高い声がはっきりと蘇る。髪は腰のあたりまで伸び、ブルーグレーのスウェット姿で、体型は少しふっくらしたように見えるけど、目の前にいるシャイな少女は、確かに1年前に出会っていた、あの子だ。

「かおちゃあん!」

わたしは嬉しさで声を上げてしまった。テレビで見る好きな有名人を生で見たらこんな感じかもしれない。

「かお、大丈夫なの?」

お母さんの問いに、かおちゃんは黙って首を縦に振った。動作はゆっくりだったが、視線はまっすぐ前を向いていた。

「ありがとう…」

かおちゃんが私を見て言う。まさか、会いに来てくれるなんて。目頭が熱くなり、わたしの視界は滲んだ。

「だっ、大丈夫?」

「ごめん…今日会えるどおぼわなぐで」

わたしは小さい頃からよく泣き虫だったらしいけど、最近また涙もろくなってしまったようだ。歳のせいかな。いやわたしまだ16だし。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

同日 17:29

リビングのソファーに腰掛けて紅茶をいただく。隣にかおちゃんがいる。さっきまでLINEでばかりやりとりしていたので、少し不思議な感じだ。
かおちゃんは、自分の家なのに落ち着かない様子で、さっきとは打って変わって俯いていた。
そりゃ、いきなり泣かれたら困っちゃうよね。わたしも申し訳なくなってきて、首をすくめた。LINEではあんなに仲良く話してたのに、顔を合わせてみるとなんだかギクシャクする。何か話題を振らないと…

「かおちゃん、はさ」

「うん…」

「写真、どんな写真を撮るの?」

LINEではメッセージのやりとりがメインで、画像のやりとりをしていなかった。かおちゃんが中学時代、どんな作品でMVPに選ばれたのかには興味があった。

「自然の景色とか… うち、山の近くだから、撮りに行ったりとか」

「わ、いいね。わたしも、LINEで言ったけど、木とか空とか撮りたくて」

「そうだったよね、じゃあ…その…」

かおちゃんが何か言いたげだ。一生懸命に言葉を選んでいるように見える。

「今度… 一緒に」

「写真撮りに行く?」

わたしが先回りして答えると、かおちゃんは何度も頷いた。

「かおちゃんが教えてくれたカメラ、もうすぐ届くんだ。かおちゃんのカメラも見てみたいよ。どんなすごいカメラなの?中学生の時から使ってるの?」

やばい、一度に喋りすぎた。案の定、かおちゃんは無言で俯いている。

「カメラは…お父さんのお下がりで」

「そうなんだね」

「…」

「…」

会話が止まってしまった。どうしよう。人と直接話すのってこんなに難しかったっけ。

お母さんがお茶菓子を持ってきてくれた。

「どう、薫子。体調は」

「うん…平気だよ」

「大空さんにも伝えておいた方がいいかな」

お母さんが神妙な顔で話し始めた。
かおちゃんが不登校になった経緯について。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

お父さんがスタジオカメラマンで、その影響でカメラを触り始めたこと。
一度夢中になったらとことんやる性格で、お父さんからも褒められて、どんどん上達していったこと。
本人に内緒で、作品をフォトコンテストに送ってしまったこと。
それが中学生部門のトップになったけど、本人は不本意だったこと。
高校で入った写真部で、MVPとしてのプレッシャーに押しつぶされそうになり、さらに先輩からの虐めを受け、病気になったこと。
そして、中学MVPはたまたまで、自分には実力なんてないと思っていること。
MVPの作品と記念品は、押入れの奥に隠してあること。

かおちゃんは黙って聞いていた。昔の栄冠が、逆にかおちゃんを苦しめているんだと思った。

「忍足先生にも同じ話をしたのよ。今は大空さんがよく家に来てくれるから、いつか話そうと思ってたの。びっくりさせたかもね」

「いえ…話してくださって、ありがとうございます」

かおちゃんは姿勢を崩さずじっとしている。何かに耐えているかのように。この小さな体で、どれだけのものを受け止めようとしたのだろう。恥ずかしいことに、わたしにはうまくイメージできそうになかった。

わたしはかおちゃんの手を優しく握る。かおちゃんは驚いて、わたしの顔を覗き込む。

「大丈夫だよ」

何が大丈夫なのか、よく分かっていなかったが、これくらいしかかける言葉がなかった。

「うん…」

かおちゃんのほっぺがほんのり赤く染まった。

「じゃあ、ゴールデンウィークにでも、写真撮影会しよっか」

わたしらしからぬリーダーシップ。かおちゃんの前だと、なんだか違う自分になるような気がする。

「…」

かおちゃんは、大きく頷いてくれた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

再び 5月5日 14:33

「クッキー、美味しかったね。舌触りなめらか〜」

「うん、山の上のケーキ屋さんのだから」

「さすがだよね」

かおちゃんがニコッと笑って頷いた。

「でも流石にノド渇くね、今日ちょっと暑いし」

わたしは水筒のふたをひねった。ところが勢い余って中身のお茶をぶちまけてしまい、ジーンズがびしょびしょになってしまった。

「おおう、やってしまった…」

「たったっ大変!じゅんちゃん着替えなきゃ」

「まあ、大丈夫だよ。日差しで乾かないかな」

「ううん、風邪引くよ。そこ降りたらウチだから、私の…はサイズ合わないから、お母さんの着替え持ってくる」

かおちゃんはそう言うと家に向かっていった。だいぶ慌ててたけど、大丈夫かな?

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

しばらくして、かおちゃんが戻ってきた。替えのジーンズを3つも抱えて。

「どれがいいかわからなかったから…」

「ごめん、わざわざこんなに。じゃあ、人もいないし、とりあえず」

「えっ!ちょっと、じゅんちゃん!」

かおちゃんが顔を真っ赤にしている。

「あ、ごめん、女の子同士でも、人前で下を脱ぐのはおかしいよね」

「…っ、えっと、人が、もし通ったら、危ないと思う。から、あそこの木の茂みに行こう?私、見張るから…」

「あ…うん、そうだね、行こう」

小さい体で一生懸命なかおちゃんが、なんだか頼もしく見えた。


(つづく)

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