39歳。同性カップルで子どもが欲しい。
子どもをつくる決意はしたものの…。
数年前までの焦りとは別物だ。
39歳になり、周りかとにかく急かしはじめる。
自分でもわかっている、ギリギリなんだと。
今は、年上のパートナーと暮らす。お付き合いをして5年がたった。最初はもう少し呑気だった。
「特別養子縁組ができるようになったら、でいいかな」
「二人で居られればいいよね」
しかし、そんな柔らかな雰囲気を一蹴するのが「年齢」なのだとつくづく思う。だって、デッドゾーンが、どう考えたって10年ない、5年あるかどうか。
5年前を振り返ってごらん。ほら、つい最近のように思うでしょ。
「自分は若い」という思考の錯覚なんて、身体はとうに無視して、ちゃんと時間を刻んでくれている。
そうか、老いの恐怖って一気にくるものなのだな。
幸い、私たちが「産む」選択をしようとしているのには、理由が2つある。
ひとつは、精子提供のドナーさんが見つかったところだ。しかし、まだ細かいところまでは詰められては居ないけれども、おおよそ前向きの方向。
もうひとつ目は、パートナーの長年の夢が実現したこと。この夢のために、全て集中したいという思いがあったから、その思いに賛同していた。半ば諦めなければいけない可能性もあったが、実現したのは、パートナーの実力と掴み取る強運の持ち主だったからだろうと感動せずにはいられない。
ひと段落して、「さあ、子ども」となったのだが…
ここにきて、浮かない顔のパートナー。
え!?
なぜ?
色々話し合ったじゃん!?
5年間、探り続けてきたじゃん!?
きっとパートナーの心情の深層には、
「血がつながっていない」「第三者が入る」「2人はつながるが、自分とのつながり、子どもとのつながりはない」と、
思っているんだと思う。
子どもを精子提供で作ることの是と非
パートナーに先日尋ねたら、
「(精子提供)そんなことをしてまで、子どもをつくることに抵抗がある…」と、どうやら煮詰まっていなかったようだ。
しかし、その思いもわかる。
私も怖くて不安で、こんな形ではなく、自然な形だったら、どんなによかったことだろう。
でも、今更、ゆっくり腑に落ちるまで、議論をする余地は、もう残されていない。
それが年齢なんだと。
みんなが話題にしている「年齢」なんだと、身につまされたところでした。
足並みの揃え方を教えてください。
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