土地遣い 9 彫山家

 ※聞き取りの言葉や様子、表現を再現するため、出来る限り原文のままで書いている。聞き取り対象者の言葉なので、方言が多用されているため、単語レベルで違うものにはカタカナで単語を書いた後、括弧内に※書きでその意味を書くことで補正する。

 父に彫山家、そしてシェパードと車庫のあった土地にかつて建っていた廃屋について尋ねたところ、彫山家の歴史について語ってくれた。

 「彫山さんの今使ってる土地のとこあっぺ、あそごは前違う彫山さんが住んでたんだ、苗字同じなんだげんじょ、今もういねえんだ」
 つまり、タイチとの会話で出た「何故現在ある彫山家をオヤガッツァマと呼ばないのか」の答えは同じ苗字であるオヤガッツァマの別の彫山家があの土地にあったからだ、とわかった。
 件の土地にかつて住んでいた彫山家について、わかりやすくするために旧彫山家として書く。
 旧彫山家は前回書いた、オヤガッツァマ、その取りまとめ役で各地域のオヤガッツァマ達を束ねる家だった。
 かつては非常に大きな屋敷と井戸を二つ持っていた家だったが、父が子供の時には既に小さな家しかない状態であった。
 この旧彫山家の邸宅があった場所が、現在シェパードと車庫が建っている場所になる。この父の言う「小さな家」が僕とタイチが小さい頃にあった記憶のある青いトタン屋根の家である。

 「ばあちゃんが嫁に来て、そのくれえからだっつうんだけど前の彫山さん(旧彫山家)の家の人がみんな、死んずまっただど、で一人だけ残ったバサマがあのちっちぇえ家で魚屋やってたんだど」
 祖母に聞いたところ、当時の旧彫山家は、祖母の記憶では三人家族で当主、その妻、そして独身の息子がいたそうだが、当主と息子が立て続けに亡くなった。理由は病死であるとのことだったが詳細は忘れてしまった、と語っていた。
 それから家を維持できないという理由で大きな屋敷は放置され、その脇にある元は離れとして使っていた一棟に、一人残った妻が魚屋を営んで生活していた。
 母屋や他の箇所は老朽化が進み、崩れる危険があったことから、門などと共に解体した。
 そのため、オヤガッツァマの呼び名だけが残り、離れとして使っていた小さなこの箇所だけが残った状態となったわけであった。
 これが青いトタン屋根の小さな家である。

 ある日、近所の人が最近妻の姿を見ていない、と気づき家に行ったところ台所で倒れており、亡くなっていた。
 いわゆる、孤独死であった。
 それからあの土地は青いトタン屋根の家だけが廃屋として残り、そのままになっていた。
 「んで、大変だー、葬式出さんなねとなったんだげんども他所の親戚が連絡全くつかねえんだど、結局今の彫山さん(現彫山家)が遠縁だっつうんで取りまとめて集落みんなで葬式さ出しただど」
 祖母が言うには旧彫山家の他所の親戚は恐らく絶えているのだろう、と語った。
  旧彫山家の妻が生前、近所の人に「おらえ(私の家、家系)みんな死んずまったがらよ、誰もいねぇがんな、後でみんなさ迷惑かげっつまぁな(迷惑をかけてしまうな)」と言っていたそうだが、僕の家はこの集落ではないので祖母も人づてに聞いたことである、とも語っていた。

 それから小さな家と二つの井戸が残されたまま廃屋となり、草と雪に埋もれたまま長い月日が流れ、現在から数年程前にさかのぼる。
 「セイジさんが『あそごの彫山さん(旧彫山家)の土地さ、前に使っていいって遺言さっちだんだ、おらえ彫山さんと遠縁だべしよ、あそごさエリの美容室と車庫建てんだ』つってコンクリ張って、今の車庫と美容室建てたんだな」
 セイジさんは近年になって、彫山家の廃屋を解体して更地にしたうえコンクリートを張り、その上に車庫とシェパードを建てた。
 そこから、5年の間に放火や事故死、窃盗事件等が起こるようになる。


 トウコさんの家は集落の中ほどにあり、大きな平屋の一軒家である。
 かつて牛小屋があったことを示す、曲がり屋と呼ばれるL字型をした家の構造をしており、何度も小さな頃にトウコさんから「おらえは前に牛いたんだ」と牛を飼っていた頃、そしてその牛が売られていくときに泣いた話を聞いていた。
 この日は雪がちらついていたが、会津の冬らしい大粒のぼさぼさとした雪ではなく、今年の冬は本当に雪が少ないなと思いながら家を訪ねることにした。
 トウコさんは運よく玄関の近くで洗濯物を干しており、声をかけたところ「久しぶりだなオメ!いたんだか!」と温かく僕を迎えてくれた。
 近況等を聞いた後で、タイミングを伺いふっと件の土地について聞いてみた。

 「あそごよ、今セイジさん(現彫山家)使ってっけどよ、あそご彫山さんの土地じゃねえんだ、今の彫山さんとオヤガッツァマの彫山さん親戚でもなんでもねえんだ、苗字同じだけなんだ、それ集落みんな知ってんべし、思ってっつぉい、おめのウチはこっち(集落)でねぇから知らねえべ」
 これには驚いた。
 そもそも親戚ではない、とは現彫山家の土地でもないところを、根拠なく使っているということか?
 恐らく、ここから語られる内容が丸梅商店で老人たちが「オラダズでは言わんにな、トウコ姉黙ってんだべ」と言って僕に語ろうとしなかった「アレ」の内容なのだと。

 「セイジさんな、むがし引っ越してこっちさ来たんだぞ、んでオヤガッツァマはずっとずっと前から住んでんだがんな、葬式んときにいきなり『遠縁だがら』なんつったけど、みんな知ってんだ、そんなんでもなんでもねえって」
 現彫山家はセイジさんが子供の頃にこの集落へ引っ越してきた。
 旧彫山家はずっと昔からそこに住んでいたのであり、また旧彫山家で生き残った老婆も、集落の人たちに「おらえみんな死んずまったがらよ」と言っており、トウコさん本人も言われたことがあった。
 旧彫山家の道路向かいの家には現彫山家の家がある。そこに親戚が住んでいるとしたら、たしかにこの発言には違和感がある。
 「だがら、おがしいんだ、セイジさん、最近になって『おらえの親戚だー、遠縁だー、遺言で土地もらっただー』ってよ、おがしいべした、親戚でねぇっつうのはみんなわがってんだ、そんなのから遺言で土地もらったってよ」
 田舎は非常に親戚、血縁関係には詳しい。
 それは人間関係が都市部と違い密接であるため、冠婚葬祭において関係性を知っていないと、失礼にあたる場合が多くある。
 そのため、特に祖母や老人たちは集落内の親戚関係をよく把握している。
 老人たちが血縁に詳しい事は僕も常識であったため、トウコさんの話にはとても説得力を感じた。
 トウコさんが言っていることは、親戚でないことは間違いない現彫山家に対して、遺言で土地を使ってもよい、と言うこと自体がおかしい、土地を乗っ取っているのではないか、ということだ。

 「なんだがわがんねえげんじょもよ、オヤガッツァマの家(旧彫山家)の位牌あんべな、それセイジさんの家で持ってがねがったんだど、親戚だったらおがしいべした」
 青いトタン屋根の家を解体し、車庫とシェパードの工事をする時に、家の仏壇から位牌が出てきた。
 旧彫山家が絶えてしまってから、ずっと廃屋の中に放置されていたことになる。
 セイジさんはその位牌を持ち帰ったが、何故か現彫山家では祀らなかった。
 「セイジさんよ、これはおらえ(私の家)におぐより、神社さ持ってったほうがいいべつって、お宮さ持ってって置いてきたんだど」
 工事の際に出てきた位牌を、集落内の神社へ持っていきそこに置いてきてしまった。
 通常ならば仏壇にあるべき位牌を神社、しかも神主が常駐しているところではない、集落内にある小さな神社に置いてきた。
  何故、このような事をしたのかはわからない。
 「何回もみんな、それやめんべ、やめだほうがいい、おがしいべっつったんだ、んでもセイジさん聞かねえんだ、こんじ(これで)いいんだ、これは神様のどごさあった方がいいんだっつって、んで誰でも話聞かねえがらみんなもう言わねえごどさしたんだ、セイジさんは家族の話も聞かねえしよ」
 トウコさん曰く、今も集落の神社の中に旧彫山家代々の位牌が放置されたままになっているという。 

 丸梅商店で老人たちが僕に語ろうとしなかった事はこのことだろうか。
 この話を伺っている時は、まるで時間が止まったようだった。
 それほどトウコさんからの話に驚き、本当は僕のような者は聞いてはいけない話だったのではないか、この集落の暗い部分に足を踏み入れ始めている、と感じていた。

 気が付けば外を見ると外の雪はさっきよりも粒が大きくなって、会津らしい雪に変わっていた。
 空はどんよりとした暗い鉛色をしていた。
 ここまで来たら、出来る限り調べてみたい。
 僕はトウコさんの家のコタツにあたりながら、旧彫山家の位牌が放置されている神社に行くことを決めていた。

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