土地遣い 8 放火、事故

 二度目の放火の写真、その中央部に消防団の法被を着た男性が写っている。茫然と車庫を見るように佇む彼は、僕の幼稚園からの幼馴染であるタイチである。
 彼はこの集落の出身で、高校を卒業した後地元で就職して現在消防団に所属しながら子育てに励んでいる。僕が中学生のころまで香山集落によく行っていた、というのはタイチの家に遊びに行くためだった。タイチとは高校が別だったため、殆ど遊ぶことは無くなってしまったが小さな頃は毎日のように遊んでいた。
 エリさんからもらった写真にタイチが写っていたことに僕は少し驚いた。消防団に所属しているので考えてみれば当たり前のことではあるが、それでもこの事件の最前列でタイチも目撃して消火活動に参加していた。
 タイチに早速連絡を取り、話を聞くことにした。

 「おめぇ、東京行ってからあんま同窓会にもこねぐなったなぁ、でも(母の名前)さんから今福島さ帰ってきてるっては聞いてんぞ、子供もいんだべ」
 相変わらず、会津訛りながらもやんちゃの残るしゃべり方が懐かしかった。
 「火付けのごどが、最初はシェパードの裏に火付けらっちゃの、近くのバサマがケム(煙、の意味)上がったの見っけで『火事だ、火事だ』って騒いだんだど」
 最初の放火の時は、午前5時頃の明け方近くだったそうだ。この放火を最初に見つけたのは近所に住む老婆だった。集落の老人は朝早い。犬の散歩をしていたその老婆は、シェパードの裏から煙が立ち上っているのを、シェパードの屋根越しに見つけた。
 不審に思いシェパードの裏に回ったところ、そこにあった廃材に火がついているのを見つけて彫山家に火事だと知らせ、通報した。
 その際、タイチも消防団として出動し消火活動にあたった。裏の杉林に若干火が及び、またシェパードの外壁を焦がしたがその程度の損害で済んだ。
 僕がシェパードの裏で見つけた焦げた木のようなものは恐らくこの時のものだ。
 シェパードはもちろん無人である。火元も廃材であることから消火活動中も皆不審に思っていた。
 「火事になっと警察来っぺな、んでゴミんどこ見だっけ、発煙筒あったんだってよ、その日朝雨降ってんだ」
 恐らく、犯人はそれで火をつけたのだ。発煙筒である理由は、雨が降っていたからであろう。発煙筒は雨天でも火がつくようにできている。つまり、犯人は雨の中そこまでして火を付けたかったのだ。
 「完全に火付けだべ」
 その後、シェパードは外壁を工事したため現在のように外観が美しいにも関わらず、表にある立て看板だけが古いのだという。

 二回目の放火の際は、発見が遅れた。
 午後9時頃、帰宅するために集落の道を通っていた人が発見したがその時にはもう、すでに火は南側の壁と東側の壁を覆っていた。
 この日、彫山家は不在だった。タイチも出動してこの時の消火活動にあたった。
 「もう、あそこまでいぐとダメだ、止めらんねぇ、ここ山奥だから消防署も遠いべ、んだがら俺らでポンプやったけんどもダメだな、消せる勢いじゃねぇよ」
 結局、火は車庫を全焼させるにとどまらず、二台の車とトラクターをも焼いた。南側の壁付近が最も損傷が激しい事から、そこから火が付いたことになる。もちろん火の気はないため、放火であると結論付けられた。
 彫山家は瓦礫になってしまった車庫を片付け、新たに車庫と車、トラクターを購入した。
 この放火の事は母からよく聞いていた。
 何故ならば、僕はこの日たまたま実家に帰ってきていた。そして家から今住んでいるところ目指して出発した時間から計算すると、この事件が通報される約2時間ほど前に僕と家内と息子はこの現場の前を車で通っている。
 帰宅すると母から電話が来ており、この事件の事を知らされたのだった。
 犯人は一件目、二件目ともに捕まっていない。
 「後で俺ん家さ警察来て、親父に『彫山さんに怨みを持ってる人とか、思い当たる人いませんか』って聞かっちゃってよ、いねぇよなぁそんな人、でも泥棒もあったし、警察もあそこはおかしいな、彫山さんに怨みある奴いんじゃねえかって思ってんだべな」

 「何なんだべなぁ、あそごばっかよ、火付けだの人死んだりよ、その後にトラクターでセイジさんがシェパードさ突っ込んでんだよな」
 最初の一件目の転倒死亡事故、彫山家のトヨさんが亡くなった冬が終わり、春が来た。セイジさんがトラクターを運転して車庫から車道へ出た際、ギアとハンドル操作を誤り、シェパードの外壁に激突した。
 その際、外壁とトラクターの間に左足を挟み、骨折した。轟音を聞いて集落の人が飛び出してきて発見した時は、トラクターからセイジさんは投げ出されており、外壁とトラクターに挟まれたままで身動きができない状態だったそうだ。
 「だがらよ、シェパードの外壁ってその後も火事ん時直してっから二回も直してんだな、おがしいべした、なんであそこばっか悪い事起こるんだが」

 僕はタイチに気になっていることを聞いてみた。
 僕が小さな頃の記憶では、あの車庫と美容室があった土地にはたしか青いトタン屋根の平屋の一軒家があったような気がする。農機具小屋等ではなく家だと思ったのは造りが土壁でしっかりしていて、農機具小屋によくあるような上から見ると正方形や長方形などの単純な作りではなかったためだ。
 そこは当時でさえ誰も住んでいないようで草に埋もれていて、蔦や葛の蔓が屋根まで届いていた。
 恐らく、現在シェパードと車庫がある土地は、その廃屋があったあたりに建っていると思うのだ。
 しかし、何分昔の事であるから記憶違いかと思い、タイチに聞いてみた。
 「あぁ、あったぞなぁ、シェパードとか小屋出来る前だべ、青いトタンの家な、たしかあそこの家は彫山さんっつうオヤガッツァマだったって聞いたな」
 「彫山さんてことは、あの今道路向かいの彫山さん?」
 「んだべな、多分、でも今の彫山さんオヤガッツァマって呼ばねえよな」
 オヤガッツァマ、とは訛りを抜いて発音すると「オヤカタサマ」となり、このあたりの土地の地主兼区長、集落のまとめ役のような立場の家の事である。今ではもちろんこのような制度はないが、呼び方だけが残っているので元オヤガッツァマである家については集落の老人たちは苗字でなく「○○(地域名)のオヤガッツァマ」と呼ぶ。
 元オヤガッツァマの家は大体敷地も広く、門付きの大きな家であるが、僕とタイチの記憶にある青いトタン屋根の一軒家はとても小さく、門などなかった。
 あそこが彫山家、オヤガッツァマの家、だというが現在シェパードと車庫の持ち主である彫山家をオヤガッツァマとは呼ばない。
 どういう事だろう。
「俺はこれ以上、わがんねぇよ、昔の事はおめえの親父さんに聞いたほうが詳しいべよ」
 それもそうだ。
 タイチに礼を言うと、僕はこの一件のきっかけとなった父から、土地の歴史について詳しい話を聞くことにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?