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創造的なひらめきはどこから生まれてくるのか――稲盛和夫氏の述懐

経営を通じて培った原理原則を哲学にまで深め、一代で一兆円企業を築き上げた京セラ名誉会長の稲盛和夫氏。「最後の仕事」として、2010年に経営破綻した日本航空の会長に就任し、「再建は不可能」といわれた同社を、わずか2年で再上場に導いたその経営手腕には、誰もが驚嘆しました。その稲盛氏が、創造的なひらめき(インスピレーション)はどこから生まれてくるのかについて考察された一文があります。

創造の源

私は技術者として、また経営者として、長く「ものづくり」に携わる中で、偉大な存在を実感し、敬虔な思いを新たにすることが少なくありませんでした。大きな叡知に触れた思いがして、それに導かれるように、様々な新製品開発に成功し、事業を成長発展させ、さらには充実した人生を歩んできたように思うのです。

このことを、私は次のように考えています。それは偶然でもなければ、私の才能がもたらした必然でもない。この宇宙のどこかに、「知恵の蔵(真理の蔵)」ともいうべき場所があって、私は自分でも気がつかないうちに、その蔵に蓄えられた「叡知」を、新しい発想やひらめきとして、そのつど引き出してきた。

汲めども尽きない「叡知の井戸」、それは宇宙、または神が蔵している普遍の真理のようなもので、その叡知を授けられたことで、人類は技術を進歩させ、文明を発達させることができた。私自身もまた、必死になって研究に打ち込んでいる時に、その叡知の一端に触れることで、画期的な新材料や新製品を世に送り出すことができた――そのように思えてならないのです。

私は「京都賞」の授賞式のときなどに、世界の知性ともいうべき、各分野を代表する研究者と接することがあります。そのとき、彼らが一様に、画期的な発明発見に至るプロセスで、創造的なひらめき(インスピレーション)を、あたかも神の啓示のごとく受けた瞬間があることを知り、驚くのです。

彼らが言うには、「創造」の瞬間とは、人知れず努力を重ねている研究生活のさなかに、ふとした休息をとった瞬間であったり、ときには就寝時の夢の中であったりするそうです。そのようなときに、「知恵の蔵」の扉がひらき、ヒントが与えられるというのです。

エジソンが電気通信の分野で、画期的な発明発見を続けることができたのも、まさに人並み外れた凄まじい研鑽を重ねた結果、「知恵の蔵」から人より多くインスピレーションを授けられたということではなかったでしょうか。

人類に新しい地平をひらいた偉大な先人たちの功績を顧みるとき、彼らは「知恵の蔵」からもたらされた叡知を創造力の源として、神業のごとき高度な技術を我がものとして、文明を発展させてきたのだと、私には思えてならないのです。


純粋な心、情熱、そして努力

では、「知恵の蔵」の扉をひらき、その叡知を得るにはどうしたらよいのでしょうか。それには、一点の曇りや邪心もない純粋な心を持って、燃えるような情熱を傾け、真摯に努力を重ねていくことしかないと考えています。美しい心を持ち、夢を抱き、懸命に誰にも負けない努力を重ねている人に、神はあたかも行く先を照らす松明を与えるかのように、「知恵の蔵」から一筋の光明を授けてくれるのではないでしょうか。

私は、自分自身の経験から、強くそう思うのです。そうでも考えなければ、どこにでもいそうな青年でしかなかった私が、京セラやKDDIといった企業を設立して、今日のように発展させることができた、その理由を説明することができないからです。

京セラの創業にしろKDDIの創業にしろ、私は寝ても覚めても仕事に没頭し、それこそ「狂」がつくほど、凄まじい勢いで働いていました。「世のため人のため、この事業をなんとしても成功させたい」と強く願い、必死の思いでひたむきに仕事に取り組んでいました。その努力の報酬として、「知恵の蔵」に蓄積されている叡知の一部を与えていただいたのではないかと思うのです。

この「知恵の蔵」の恩恵を受けることができるのは、新規事業の立ち上げや新製品開発など、創造的な仕事に取り組んでいる人だけではありません。美しい心を持って、一心不乱に何かに取り組んでいる人は等しく、その恵みを受けることができると私は考えています。

「他に良かれかし」と願い、一所懸命必死に生きている人が、何か困難に直面して、悩みに悩み、苦しみもがき抜いているとき、一筋の光明が差すように、天は必ず障害を克服するヒントを指し示してくれるはずです。これも、「知恵の蔵」によるものではないでしょうか。「知恵の蔵」とは、真摯に生きるすべての人にひらかれている、私はそう信じています。

(月刊『致知』2010年4月号より)

稲盛和夫氏が『致知』に贈ったメッセージ

昨今、日本企業の行動が世界に及ぼす影響というものが、従来とちがって格段に大きくなってきました。日本の経営者の責任が、今日では地球大に大きくなっているのです。このような環境のなかで正しい判断をしていくには、経営者自身の心を磨き、精神を高めるよう努力する以外に道はありません。

人生の成功不成功のみならず、経営の成功不成功を決めるものも人の心です。私は、京セラ創業直後から人の心が経営を決めることに気づき、それ以来、心をベースとした経営を実行してきました。経営者の日々の判断が企業の性格を決定していきますし、経営者の判断が社員の心の動きを方向づけ、社員の心の集合が会社の雰囲気、社風を決めていきます。

このように過去の経営判断が積み重なって、現在の会社の状態ができあがっていくのです。そして、経営判断の最後のより所になるのは経営者自身の心であることは、経営者なら皆痛切に感じていることです。

我が国に有力な経営誌は数々ありますが、その中でも、人の心に焦点をあてた編集方針を貫いておられる『致知』は際だっています。日本経済の発展、時代の変化と共に、『致知』の存在はますます重要になるでしょう。

『致知』とは?