「煙鬼」のこと

僕も『HUNTER×HUNTER』の再開が楽しみなひとりである。
あの凄まじい作品はきっと制約と誓約がかけられた念能力で描かれてるんだから、長い休載も仕方が無い。

昨年、不意にNETFLIXでウチの子どもたちがアニメの『幽☆遊☆白書』を観始め、すっかりハマりきってしまい、娘6歳はたまに柱にもたれかかって、腕組みをして、片足はカクっと曲げ、目をつぶって僕を待っているときがある。僕はそれを「蔵馬待ち」と名付けた。(ちなみに「飛影待ち」は木の上なので危ない)息子はいまだに風呂でリズムに苦戦しながら「微笑みの爆弾」を熱唱しているときがある。
さらに、岩手の実家の掃除で色々と幽白グッズが発掘されたりもして、完全に記憶の蓋が開いてしまい、『幽☆遊☆白書』について考えることが増えた。

僕にとって、ものすごく印象深いサブキャラに、「煙鬼(えんき)」という人物がいる。煙鬼は、物語全体の終盤「魔界統一トーナメント編」に登場する人物っていうか、鬼である。超スタンダードなスタイルのもじゃもじゃ髪とツノとキバ。身体は大きいけどは表情は温和なオジサン。雷禅の死を聞きつけた旧友たちのひとりとして登場するのが最初。そして、幽助が企画した魔界統一トーナメントであっさりと優勝し、魔界を統べることとなるのだ。彼の打ち出した政策により、魔界社会は拍子抜けするほど穏やかに落ち着く。
当時、小学生だった僕はこの煙鬼になんだかシビれた。なんてカッコいいんだ!と。実は、実際の戦いは1コマも描かれてもいない。初登場のくだりで「せーの!」で気を放つシーン以外「強さ」を示すような描写も無い。それなのに、すごく納得させられる。間違いなく圧倒的に強いのだと感じさせる説得力がある。

これは今思い返して思うことだけど、煙鬼の強さは「他に大事なものを見つけられてる人」だったことなんじゃないか、と思う。魔界で3大勢力となっていた雷禅、躯、黄泉と、それを取り巻く全てが「ケンカの強さ」こそが力であり、その一点のみがアイデンティティーになっていた。いわば、ケンカがプロスポーツになってるみたいな世界。だけどきっと、雷禅を含む彼らみんながまだ若かった頃、煙鬼は、ケンカというスポーツに明け暮れるだけじゃない人生を見つけたんだと思う。大好きなものがあるけど、好きは好きのまま、プレイヤーでいることに固執しなかった人なんじゃないかと想像する。そこが強い。
そして、複雑な出自や気持ちと、強さを求めることとがごちゃまぜになったままプロの道を歩んだ雷禅、躯、黄泉は、見方によってはだいぶこじらしている感じがする。シンプルにケンカというスポーツが「好き」「楽しい」のまま、どこか田舎でひっそりと全く違う暮らし(学校の先生とかかもしれない)をしていたオジサンが、横からナンバーワンをかっさらってしまう。こういうことは、現実にもきっとあるのだ。

さて、こんなことを考えながら僕自身を照らし合わせると、音楽というものとの向き合い方が、ずいぶんこじらせ気味になってきてしまってるんだなと感じる。軽やかで何かを背負い込まない演奏や音楽が眩しくてしかたがないときがある。
煙鬼にはなれない。だけど、どうあれば「好き」「楽しい」と一緒に、責任を持ってやっていけるだろうかと、そんなことをよく考える。

そんなわけで、『幽☆遊☆白書』のことを思うとき、セットで煙鬼のことを思い出してしまう。


ここからは、タイトルともあまり絡まないただ思うまま書く幽白話。

今思うと浦飯幽助という人物像もものすごく面白く、やっぱりかっこいい。
かつて人間界で同じようにケンカに明け暮れていた幽助だが、本人が望んでいたわけではなく、「ものすごく強かっただけ」だった。海賊王になるとか家族の仇を討つとか、そういう成就させたい何かがあるわけでもない、宙ぶらりんな主人公。そんな幽助が、知らなかった世界に出会い、使命を背負い、必要とされ、最終的に魔界・霊界・人間界の架け橋的な、もしかしたらその後の新しい社会のあり方に関与するような重要人物になっていく。

思えば、戸愚呂弟も、仙水も、最後は彼に心を救われ「満足」していくから不思議だ。心のこじれてしまった者たちを、簡単に善悪の決めつけをせずに相手をしていく。ただしそこまでは結末に「死」が伴ってしまった。だからこそ、魔界統一トーナメントにおいては、幽助がプロデューサーとして、殺し合いではない結果を成し遂げたことに、思い返して今更なんだか感動している。さぞ嬉しかったんじゃないかなと。自分の勝ち負けなどどうでもよくなるくらいに。

『幽☆遊☆白書』は、バトル漫画のようでいて、浦飯幽助という主人公が、宙ぶらりんの見つかっていなかった「何か」を掴みかけるまでのお話しだったのだと思う。でも実際は、はっきりとした結論が特に語られないまま物語は終わる。この余韻が半端じゃなかった。たぶん僕が人生初めて味わった「オープンエンド」体験かもしれない。しんみりとしたショックがあった。
でもだからこそ、その後に想いを馳せてしまう。煙鬼と幽助は、その後すごくウマが合う、良いコンビになったような気がしている。

そして『HUNTER×HUNTER』は、煙鬼的な人物像の釣瓶撃ちのような作品だなとも思う。何かを極める人間(生物)の凄み、気持ちや想いの力、積み重ねるものの価値、世界の奥深さと広さ…そのほとんどが「知られざる存在なのだ」ということを描き出そうとしているように感じる。
ジンってほんとは幽助なんじゃないかな、とか、妄想を広げながら、『HUNTER×HUNTER』を待っている。

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