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音楽評論家 / 岡村詩野さんによる、アルバム『ほうれんそう』 ライナーノーツ

 かつてこの小田晃生というアーティストが組んでいた「コケストラ」というグループの作品を、私はこのコロナ禍にふと思い立って聴いていた。「大きい」のではなく「小ちゃな」オーケストラだから「コケストラ」……とでもいう自嘲的かつユーモラスなそのバンド名さながらに、アイリッシュ・トラッドやアパラチアン・フォークの要素を箱庭的に聴かせるコケストラ。それは、誰もがステイホームを強いられた2020年……音楽家の多くは家で曲を書き、宅録で作品を作り、ライヴやイベントに飢えたリスナーもひたすら家で音楽を聴くという状況に、そっと寄り添ってくれる。オーケストラを聴くほどの体力はないけど、何かちっちゃな室内的作品はないかな……なんてことを思っていた時に、「コケストラ」という名前をふと思い出したからだ。あらためて洒落たネーミングだ、と思った。

 そんなことを考えていたところに、小田からメッセージをもらった。「新作を出します」という。

 こういう時代だからこそ、小田の歌は、曲は絶対に映える。家で音楽を作ったり楽しんだりすることが新たな日常となっている今、そしてそういう毎日にみなが少しくたびれてきている今、聴かれるべき歌だ。
小田本人とは2014年に発表された彼のソロ作『チグハグソングス』をある雑誌において短い評文で紹介してからのつきあい。と言っても、滅多に連絡はとりあわない、そもそもちゃんと話したことさえない、そんな曖昧なつきあいだが、SNSで活動を確認し合っているからか、ちっとも距離を感じたことがなかった。そんな関係にも彼の作る室内的、箱庭的なポップ・ミュージック、人の生活に寄り添える歌が息吹を吹き込んでくれるからだ。

 そうして届いた『ほうれんそう』。さっそく聴いてみる。ああ、変わらないなあと思った。ギターの朴訥とした響きと、伸びのある歌声、落ち着いたトーンのメロディ……なのにどこかユーモラスで諧謔味に満ちていて……これこれ、これが小田の世界だ。と思いきや、ほらほら来た! 小学校の音楽の教科書に載っているワルトトイフェルの「スケーターズワルツ」のカヴァーにニヤリとする。カヴァーというより日本語替え歌と行った感じの歌、チャカポコしたアレンジ……自由だ。音で楽しんでいる。音楽を必要以上に神格化させない敷居の低い目線。それでいて、ルーツに忠実な姿勢が通底している。「畦道に宇宙」「たそがれ」あたりからはウディ・ガスリーやピート・シーガーへのリスペクトがうかがえるし、「ストレンジ通りからの帰還」「森のむこうの原っぱの鬼ごっこの話」あたりからは路地裏のボードヴィルといった薫りも漂ってくる。「風が吹けば桶屋が儲かる」は日本の民謡の情緒だろうか。だが、すべての曲に共通しているのは、どこでもない小田晃生という音楽家の室内……いや彼の脳内の音の風景が想像の彼方に広がっているということだ。そしてそれはフォーク音楽の範疇でありつつも、カレイドスコープ・ポップス……とでもいうようなイマジナリーでイマジネイティヴで、ちょっと刺激的な味わいでもある。
 今日、フォークやカントリーといったルールが明確なアコースティック・ミュージックは、どちらかというと、ラディカルな音楽として再認識されつつある。テイラー・スウィフトのような世界的人気アーティストの昨年の2作品が象徴的なように、フォークやカントリーはどんなに攻撃的で挑発的な音楽よりよほど先鋭的で革命的な音楽として若い世代が向き合うようになった。それは、歴史のあるそのルーツを掘り下げていく過程に、自由に想像し、自由に解釈する余地が大いに隠された音楽だからではないか思う。それにようやくここ10年ほどの間に多くの人が気づくようになった。
 小田の音楽もそうだ。これは架空の世界のフォーク・ポップかもしれない。けれど、それがどこの国の歌か、どこにある風景を歌ったものなのか、いつの時代のものなのか……それを自在に妄想する作業が『ほうれんそう』という作品に辿りつかせる。それは、癒しとか和みとかとは全く対極の、むしろ大いにドキドキする体験ではないだろうか。

岡村詩野

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高校生〜20代の頃、洋楽CDを買う際に「輸入盤派か国内盤派」か、という問題がありました。輸入盤は安くていっぱい聴ける。国内盤は高いし余計な要素もあって邪道!という人もいました。けど僕は、情報が素っ気ない輸入盤よりも、ボーナストラック(確かに、蛇足感が否めないときもあるけども...)や歌詞対訳と冒頭のライナーノーツが付く国内盤が好きで、少し値が張るけど頑張って買っていました。その作品にまつわる話や、関連のある別のバンド、メンバーの他の活動など、ただCDを聴くだけじゃ知れない事が沢山詰まった貴重な情報源でした。そんな国内盤のライナーノーツで、僕は岡村詩野さんの文章を読んでいました。
そんなこともあって、前作『チグハグソングス』のリリースの際、雑誌「MUSIC MAGAZINE」のディスクレビュー欄で自分の作品を見付けたとき、書いてくださったのが岡村詩野さんのお名前で嬉しかった。その事をSNSに書き込むと、そのツイートを発見した岡村さんからわざわざお返事をいただきました。それ以降、何か文章をお願いできる機会があればと思い続け、覚えて下さっているかすら不安でしたけど、今回の『ほうれんそう』の完成の少し前に、6年ぶりの急な連絡をさせていただいたのでした。

歌詞を書くのとは違って、「音楽そのものを言葉にする」というのは、僕にとってすごくすごく難しいなと思っているので、岡村さんから送っていただいた文章には、音楽を聴く人の時間と情景があって、そこに分析と感情が綴られていて、「あぁステキだなぁ」なんて感心しながらポカンと読んでしまいました。でも、その文章の後ろに流れている音楽が、紛れもなく僕の『ほうれんそう』なのだという事を、じっくり噛み締めながら2回目を読みました。作り手として、うん、そうだそうだと思えるかというと、そうではなく、「こんなふうに思ってもらえてるならすごいぞっ!」と、光栄な気持ちでいっぱいです。現在進行形の音楽と世界の歴史の一端にこのアルバムも存在しているんだ、と、そんな大きなスケールのある評をいただきました。あと、「デーモン(←BLUR)の音楽」みたいな感じで「小田の音楽」って呼び捨てられてるぞ!とかも嬉しくてニへニへ。(冒頭からの「コケストラ」の話題には驚き!...けど説明が長くなるのでここでは割愛します。)

音楽は聴覚頼りで、そして都合よく留まってはくれない「経過する芸術」だと僕は感じます。だから潔いし心地よい。そのぶん流されやすい。頑張った=良い&偉い、じゃないとはわかっていても、作った者としては、もう少し引っかってくれるチャンスが欲しい。だけど、フックのある音楽を作る事だけが目的化するのは、ちょっと違うような気もしてしまいます。それを手助けしてくれる要素がビジュアルや文字の情報だと思います。かつて僕が洋楽に触れ始めた頃の、一聴では呑み込めず、流れ去ってしまいそうな新しい体感を、「うーん、もう1回聴いてみるか」と思わせてくれた国内盤ブックレットのように、この岡村詩野さんのライナーノーツは、僕の作品の味わい方、楽しみ方の角度や糸口を紹介してくれているように感じました。とても嬉しい。ホントにありがとうございました。

最後に、僕の作るものを僕自身が語ることは出来るけど、このように僕以外の方が語ってくれることでしか生まれない広がりがあります。ですので、事前試聴企画で素晴らしいレビューを送っていただいた皆さんにも、改めてお礼申し上げます。リリース前、最初に作品の自信を付けてもらったのは皆さんの言葉です。
これから聴く方も、どんなふうに感じたかを届けてもらえたらと願っています。是非是非。

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小田晃生
New ALBUM『ほうれんそう』

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“伝える”ことの難しさ、可笑しさ、哀しさ、
愛しさがアレコレ詰まった10曲入!
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〈収録曲〉
01. ミーミーミー
02. ぽつねん
03. スケーターズワルツ
04. 畦道に宇宙
05. たそがれ
06. ストレンジ通りからの帰還
07. 森のむこうの原っぱの鬼ごっこの話
08. 風が吹けば桶屋が儲かる
09. ほうれんそう
10. 当たり前
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音楽家、小田晃生(おだこうせい)です。ソロのほか、COINN、ロバート・バーローに所属。 趣味は創作ハヤクチコトバ。 2020年12月26日、新アルバム「ほうれんそう」配信リリース。 https://www.odakohsey.com/