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なぜ新卒で入った県庁を2年半で辞めるのか

9月末で、新卒から2年半つとめた県庁を退職し、別の会社に入社することになった。辞めることを確定させるのが意外にも大変だった。県庁側に、辞めたいという話をしたのは8月上旬のことだ。役所だからもっと淡々と、手続きに沿って機械的に辞められるものだと思っていた。まず転職の話をしたらこちらが逆にびっくりするほど驚かれたし、退職の意志が本気かどうか何度も確認されたし、本当の原因が別にあるのではないかと複数回の聞き取りを受けたし、その中で何回かは引き留められた。

部の人事担当、役員の方、同じ課の同僚などなどに、それぞれ色々な角度で退職の理由を質問され、色々な角度で答えたが、どうも私が考えていたことの全体像が伝わっていた気はしない。私の説明の仕方も、それぞれのタイミングで十分ではなかった。この文章を書くことで、あらためてその方々に伝わってほしいとは思わないが、私のように現行の仕事に違和感を感じた人にとって、考えを整理する手助けになれば嬉しい。

なぜ県庁に入ったのか

そもそもの前提として、別に私は県庁に入りたいと強く思っていたわけではない。東京で就職しようと思っていたが上手くいかなくて(これは完全に自分のせい)、人生の避難所として、地元で数年働いて元気になろうと思って入庁した。たぶん、ここの部分が、人に説明したときにはあまり伝わらなかったんだろうなと思う。
でも、県庁に入りたいと強く思う人をバカにしたいわけでは全くない。その気持ちもすごく分かるようになった(入庁当初は全く分からなかった)。県庁職員は地方で地に足をつけて働くなら今のところ最も良い選択肢で、Decent jobだと皆が信じているし、それもある程度は正しいからだ。単に私の人生の志向性と合っていないだけの話である。

もともと3年で辞めようと思っていた

前述のとおり、長く働くイメージがそもそも無かった。というか、働き出して1年経つくらいには、最長3年で辞めようという決意を固くした。なぜ3年か。世の中には、その期間に何をしていたか、何をしなかったか、ということよりも、「3年間も同じ仕事を続けられなかったこと」に着目するおじさん(便宜上、そう表現させていただく)がかなり多いことを何となく感じ取っていたからだ。世の中の謎言説に、「とりあえず3年は続けろ」というのがある。3年県庁職員やってました、と言えば、信頼を得やすい場面もあるだろう、という話である。自分で書いてもバカバカしいが、古い社会となるべくうまくやっていくための、自分なりの妥協点だった。一方で、大きな組織で何かが決まる時の力学みたいなものは学びたかったので、3年観察する、というのは適した長さであるようにも思えた。

辞めてからは自営業で生きていこうと思っていた

これも理解されがたいのだが、県庁を辞めた後、転職する気も最初は全然なかった。勉強は教えられるはずなので学習塾を細々とやったり、ウェブ系のコーダー、プログラマー、もしくはライター、翻訳といった仕事の掛け合わせで食いつないでいこう、とにかく大きな組織に入って消耗するのはもうやめよう、と決めていた(実際そのためのインプットをかなり真剣にしていた時期もある)。この見通しを甘いと思うかは人それぞれだが、少なくとも、心がまったく動かないまま県庁という巨大な組織で日中の8時半から17時15分を消費し続けるよりは絶対に、はるかに良いことだと感じた。
 県庁の給料がかなり安いことも一因で、さすがに、何かしら少し努力して頑張れば、時給換算したら分からないにしろこのくらいの年収は稼げるのではないか、と思わせていただけるような額だった(私がほとんど時間外勤務をしなかったというのもある)。そしてその金額が30代になってもほとんど上がらないことは、今から分かっている。
 もちろん、比較的若いこと、扶養家族や介護が必要な家族がいないこと、実家が金銭的に困っていない等々、恵まれた環境にいることは、そういう考えに至れる理由ではあったと思う。とにかく私はそう考えていた。

「○○さんみたいな人が役所には必要だったのに」と言う前に

最後に、どうしたら、私のような変人が、偶然、役所という忖度・コンプライアンス・同調圧力の沼にに迷い込んだときに、役所を辞めずに済むか(職場側からしたら、辞められずに済むか)ということを考えてみる。

1.才能や性格、向き不向きを考慮した人事をする

「公務員の性質上、仕事をは選べない」というのはやはり思考停止だと思う。人間にはそれぞれ、能力を発揮できるポジションとそうでないポジションがある。新しい楽しい事業を考えるのがすごく得意な人がいる一方で、怒っている人を穏やかに説得するとか、既存の仕組みを整えるのが得意な人もいる。外部から無条件に降ってきた仕事をこなすのが快感な人もいれば、自分のやりたい仕事をやるのが快感な人もいる。とにかく、その人がどんな人なのか、ということにもっと真剣に寄り添って、少なくともなぜあなたをここに配置したのか、という理由は職員本人に告げても良いのではないかと思う。

2.「なぜ今この仕事が必要なのか」が明確になるまで話し合う

皆に当てはまる話ではないかもしれないが、自分は、担当として任された仕事に必要性があるのかどうか、ある日分からなくなった。その瞬間に、そもそもその仕事について考えることすらも全くできなくなった。これは公務員という仕事をやっていくにあたって重大な欠陥である。「本質的には必要ない業務だけど、現行の制度上こうなっているから、今はやらないといけない」でも全然かまわないが、とにかくその仕事が存在する理由が欲しかった。無いと、仕事自体を無かったことにしてしまう癖があると気づいた。たぶんこういう人は私以外にもいる。これが積み重なると、職員自身の無視できない無気力につながり、それは職場での低評価につながり、負のスパイラルに陥る。頑張れないことを頑張り、高い評価を得てモチベーションを保てる人はそうそういない。

3.副業など多様な活動を許可する

自分の才能を活かして人の役に立てているとき、人は(少なくとも私は)喜びを感じる傾向にある。逆にそれができていないと、何かと不満を抱きがちになる。私に限って言うと、何か(アクセサリーから、Webサイトまで)を作るのが大好きで、大学生の時はそれを売って少しのお金を得たりもしていた。私にとってお金を得ることは活動のモチベーションに繋がった。公務員では、身分上、片手間にそういうこともできない。まあ、こっそりやれば良かったのかもしれないが、何かと気持ちが窮屈だし、積極的な情報発信をすることもできない。本業しかできないのに本業は面白くない。我慢できる人もいるのかもしれないが、私にとってはかなり重大な問題で、自分の社会における価値や楽しいことが無くなったかのように感じた。それが最終的に退職までつながったので、職場にとっては軽くない問題だと思う。

もちろん、私のような変人をあえて繋ぎとめておきたかったら検討すればいいかも、くらいの話で、無理に県庁が変わる必要は全くない。基本的には、私に数年間の避難所を与えてくれたことへの感謝の気持ちしかない。2年半、ありがとうございました。

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