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杉の木に降る雪

伐られたる上半分より雪は降る大杉の幹抱こうとすれば 『湖水の南』


 樹齢五〇〇年とも言われている「大杉」は、自宅から歩いてすぐの神社の境内にある。「ある」よりも「いる」と言ったほうが、しっくりくるかもしれない。
 一年中鬱蒼と葉を茂らせている枝からは、姿は見えないのだけれどいつも鴉の鳴き声がした。あまりにも太くて壁のように見える幹には、古くなってはがれた長い樹皮がだらり、だらり、と垂れている。子どもの頃は、この木、なんだかお化けみたいだな、と思っていた。けれど、いつも杉の木はそこに立っていたのである。当時神社の境内にあった鉄棒で苦手な逆上がりの練習をしていた時も、「探検」と称して妹と一緒に社殿の裏側をこっそりのぞいた時も、そして、初詣で柏手を打ち、御神籤を引いた時も。高校三年生の冬、東京の大学を受験しに行く前日には、賽銭箱に小銭を放り込んだ後かなり長い時間目を閉じて手を合わせていた。杉の木は、そんな私の「神頼み」もじっと見ていたはずである。境内の地面はうっすらと雪が積もって白くなっていたけれど、杉の木の周りの地面だけは、降ってくる雪が遮られて黒々としていた。無事大学に合格して東京で一人暮らしを始めてからは、帰省する度に一度は神社にお参りに行き、そして杉の木を眺めた。もう「お化けみたいだ」とは思わなくなっていた。

 長年福島市の文化財にも指定されていたこの杉の木が伐られることになった時、私は日本語教師としてアラブ首長国連邦のアブダビで働いていた。教えてくれたのは母である。電話で近況報告をしていたのだった。思わず、ええっ、と大きな声が出た。老化が進んで倒れるおそれが出てきたために、木の幹の上半分を切断するという。「あんなに立派な木が伐られちゃうなんてねえ」と言う母の声を聞きながら、私も大きなため息を吐いた。オイルマネーで潤っているとはいえ、アブダビは灼熱の砂漠にたった数十年でつくられた都市である。樹齢数百年にも及ぶ大木を見ることはない。杉の木はいつの間にか私の心のなかにも、深く根をおろしていたのだった。
 上半分を伐られてしまったものの、杉の木は今もちゃんと神社の境内の同じ場所に立っている。よかったなあ、と思う。伐られてぽっかりと見えるようになった空から、今年も真っ白な雪が降る。

福島民友新聞 2016年12月23日「みんゆう随想」 改題・一部修正

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