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Disappearing Earth 消えてゆく世界

2020年1月9日

ジュリア・フィリップスのDisappearing Earthを読み終えました。まだ訳されていないようなので、適当な訳をつけてしまいましたが、「消えてゆく地球」だと環境問題の話のようなので、意訳しました。
物語は二人の幼い女子が誘拐、あるいは事故により、行方不明になってしまったことから始まります。そして、この舞台が意外にも(?)カムチャッカ半島なのです。(アメリカ人によるフィクションでカムチャッカ半島が舞台というのは珍しいのではないかと思います。)

物語は、そこに暮らす女性一人が一章の主人公となって展開していき、一見関係ない話が続くのですが、ソ連崩壊後の変化に戸惑う世代、それが当たり前の世代など世相がうまく反映されています。別れた夫がモスクワにいる、などロシアの大きさとカムチャッカ半島というある意味特殊な位置づけも秀逸です(日本からの観光客のことも少し出てきます)。また、あまり知られていない半島の原住民の言語や宗教、または彼らに対する(白人ロシア人からの)差別なども示唆されていて、単なる女子の失踪物語ではない骨太なテーマも何気なく織り込まれています。

この本は「ニューヨーク・タイムズ」の書評ポッドキャストで知りました。昨年夏に、この本の紹介と著者のインタビューがあり、実際フルブライト研究員としてカムチャッカに滞在した著者は、カムチャッカに住んだ経験(「アメリカ人」として)を、魅力的に語っていました。俄然、興味を持ったのですが、色々バタバタしていて夏から秋と手をつけられなかったのですが、11月頃に義母からのクリスマス・プレゼント何がいい?というメールが来たので、この本をリクエストしたのでした。

2019年のベストとして、この本をあげる書評者もいたくらい、静かな人気のこの本、実は著者の初めての長編作品とのこと。これまで、アトランティックなどの雑誌に寄稿したことはあるようですが、初めての作品でこの力量!というのも、数人がこの本を推す理由のようです。

構成力が良いのもありますが、なんと言っても紫式部ばりに、女性の視点が豊かなことに惹かれました。ティーン・エイジャーから40代くらいの女性、一人一人(モデルがあるとは思いますが)違ったライフ・ステージをその人なりに生きている。納得できるキャラクターでありながら、紋切り型でない彼女たちの世界の捉え方、つまりその世代なりの普遍的な性質を保ちつつ、一人ひとりのキャラクターが生きているのです。

愛する人を亡くすことも辛いですが、失踪の場合は、諦めと期待との折り合いが刻々変化していくという別の次元の辛さもあることもよくわかります。最終章は救いなのか、ファンタジーなのか、その曖昧さも魅力ですが、そういう意味で人が(何らかの理由で)いなくなる、ということは、自分の馴染んだ「世界」が消えてゆくことなのだろう、と思わせます。その意味も込めての「消えてゆく世界」です。

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