何のために生きているのか
私は「何のために生きているのか」「何のために生まれたのか」というのを昔から疑問に感じ、苦痛を感じていました。
人間というのは地球上に何十億人といて、そして宇宙の広さから見てみても本当にちっぽけに感じてしまうような。
今まで、過去に数多もの人間が生まれて暮らし死んできた歴史があります。
しかし、私は過去に生きた人たちをあまり知りません。
私が死んでも未来の人には認知されないだろうと思います。
そう考えると、昔の大王などが古墳やピラミッドなどの大きなお墓を作る気持ちも分からないこともないですね。
しかし、何か大きいことを成し遂げて、未来の人に覚えていてもらっても自分自身が死んでいるので意味がないと思いました。
「自分は必ず死ぬ」
人間だからいずれ死ぬと言うのは当たり前ですが、いずれ死ぬと言うネタバレを知ったまま生きていくように感じました。
そのようななかで、私はYouTubeで偶然流れてきたNetflixの「男はつらいよ」の切り抜きに「人は何のために生きているのか」の答えを教えてもらいました。
それは、少年と寅さんの会話です。
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満男 「伯父さん」
寅 「何だ?」
満男 「人間てさ」
寅 「人間? 人間どうした?」
満男 「人間は何のために生きてんのかな?」
寅 「何だお前、難しいこと聞くなあ、ええ?」
寅 「うーん、何て言うかな。ほら、ああ、生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない、ね。そのために人間生きてんじゃねえのか」
満男 「ふーん」
寅 「そのうちお前にもそういう時が来るよ、うん。まあ、がんばれ、なっ」
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私は、この動画を見てすぅーっと胸が晴れた気がしました。
答えがないことに悩んで苦しんでいた自分が馬鹿みたいに思えました。
それは好きなアーティストのライブを見た時、彼女ができた時、ギャンブルで大勝ちをした時、子供が生まれた時、自分にとって何が生まれてきて良かったと思えることかは分かりませんが、その時が来た時のために生きようと思えました。
そして、そういう気持ちになれた時に、「何のために生きているか」が決まっていない方が幸せであり、自由だと気付くことが出来ました。
椅子は初めから人に座られることを目的に生まれました。
なので、普通は椅子は座られる以外の目的を果たさないでしょう。
しかし、それを自分に当てはめるとあまりに寂しい人生だと感じてしまいます。
まるで、インドのカースト制のような自由がないように思えます。
インドのカースト制では、生まれた時点で仕事が決まっています。
「何のために生きているのか」「何のために生まれてきたのか」がないからこそ、自由だと。
私は、自分のように「何のために生きているのか」「何のために生まれてきたのか」に疑問を持って、苦しんでいる人がいるなら、この記事を読んで少しでも楽になって欲しいと心から願っています。
私のような人間はそう多くいないと思いますが、その少ない人数であっても救われてほしいという傲慢かもしれない願いです。
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