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無い物ねだりとおせち料理

明けましておめでとうございます。

海外に住んでいると(というか、海外でしかも田舎?!)お正月にあまり重点を置かない‥というかおけない。クリスマスでプレゼント合戦やパーティで盛大に散財した後でのハッピーニューイヤー。仕事も一日お休みが貰えるくらいで、神社にお参りも、年越し蕎麦も、お節料理もお年玉もない。

それでも、毎年、せめてお雑煮だけは作っている。せめて娘にお年玉は渡している。せめて、新年、揃って笑顔で「あけましておめでとうございます」と家族で言うようにしている。そしてせめて、お正月の思い出に浸っていたい。

お雑煮を作っているときの頭の中はいつも、母と年末におせち料理を作った事。大晦日の大ご馳走やおせちを作った後の疲労感。兄弟とした羽付や家族みんなでやったトランプ。箱根駅伝を寝転びながら家族でみたり、欽ちゃんの仮装大賞をごろごろしながら見たりもした。姉と行った二日から始まるデパートのセール。どれも暖かくて、優しい思い出ばかりだ。

そんなことを考えながら暖かい思い出に包まれてお雑煮を9年間、毎年1人で作っている。ふと我にかえると、込み上げるものもある。

アメリカに来て、起業をして、思えば、随分と遠くに来てしまった。9年前は未来ばかり考えて、両親、友達、兄弟、かけがえのないものは当たり前でいつでも簡単に手に入ると思っていた。前ばかり見て走ってきたけど、最近ふと立ち止まることが多くなった。目に行くのは過去と現在。歳を取るというのはこういうことか。

文化やそれに準ずる行事や慣習、常識。身体に染み込んだものは一日にして作られるものではない。加えて、すぐに塗り替えられるものでもない。当たり前にそばにいた文化や風習、常識。日本は単一民族の国家だし、育ちや学歴によって自然と自分の価値観と同じ人が周りにいる環境をありがたいとも思わずにしてそれを謳歌し、ある日突然白人社会に来た。同じ人間とはいえ、とてつもないギャップにカルチャーショックを受け、しかも指先まで染み渡った自分の「常識」を上書きできずにもがく毎日。西洋文化をふんだんに取り入れた先進国の我が国ニッポン。外資系企業で働いていて、普段の日常会話が英語でも、彼氏が青い目のナイスガイでも日本にいて西洋社会に触れるのと、西洋社会にドボンするのと随分違う。

随分違うのも知らずに飛び込んだら、未だ滞在歴9年目にしても自分の物差しで測れない数々の現象を受け入れられず、右往左往する。

そして、特に右往左往するのが、この瞬間。日本の思い出に浸りながら有り合わせのものでお節をつくり、横目で盛大に飾り込んだクリスマスツリーを見ている瞬間だ。

今日は実家に弟夫婦が来るそうだ。姉も実家に顔を出すという。そんな話を聞くと、ついついパスポートを徐に出し、ユナイテッド空港のウェブサイトで日本行きの直行便を検索してしまう。帰れないのに。帰れないからこそ恋焦がれてしまう。

だからと言って後悔しているとか、今の生活に嫌気がさしている…。ということではない。日本にずっといたら、ないものねだりの私の事だ、それはそれで退屈だっただろう。

異文化に身を置いて、初めて自分が日本の文化を愛していたか
環境が変わって、初めて自分がどんなに恵まれていたのかがわかる。
皮肉なものだ。

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