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「雛祭りに思うこと」

このタイトルは作年の雛祭りのころ毎日新聞に掲載された小国綾子さんのコラムと同じタイトルである。

コラムの細かい内容は忘れてしまったが、子供の時に買ってもらった雛人形の話しが書かれていて、それが今も強く印象に残っている。

小国さんの雛人形はケースに入ったお内裏様一対だけの親王飾りであったが、友達の家で立派な段飾りを見て驚いたそうだ。

小国さんは家に帰ってそのことを母親に告げると、実は初節句におばあちゃんから段飾りを買うようにとお金を貰ったが、そんな大きなものを飾る場所もないし親王飾りで十分と思い、残りのお金は生活の足しにしてしまったと聞かされた。

そこから先はどういう表現で書かれていたのか覚えていないが、小国さんは母親の行動を至極残念に思ったであろうことは想像に難くない。

このコラムを読んだ私は「買って貰っただけでもいいじゃない、世の中には買って貰えない子供だっていっぱい居るんだから。。」とツッコミたくなった。

しかしそれは今私が大人だから言えることであって、子供の時ならどうだっただろうか。

思い起こせば私も買って貰えない子供の一人だったのに、雛人形への思い入れは全くと言っていいほどない。

たぶん余り興味がなかったのだと思う。

ただこの季節、祖母とデパートに行くと真っ赤な毛氈を敷いた華やかな段飾りが幾つも展示されていたのは覚えている。

私は一通り立ち止まって眺めてみたものの、やはり欲しいとは微塵も思わなかった。

なぜならお雛様の顔はみな無表情に見えて親しみが感じられない上に、ただ飾っておくだけで触ったり抱っこしたりして遊べないなんてつまらないと思ったからだ。

それより私はミルク飲み人形が欲しくて欲しくてたまらず、祖母にねだって買ってもらったのが何よりも嬉しかった。

当時ミルク飲み人形は女の子の間で大流行していて、言ってみれば今のリカちゃん人形の前身のようなものだった。

リカちゃん人形よりはずっと大きくて子供が抱っこすれば、丁度大人が赤ちゃんを抱いているようなサイズ感であった。

その名の通り哺乳瓶でミルク(本当は水)を口から飲ませることができて、寝かせると目を閉じ起こすと目を開けて「ママー」と言うのである。

そしてお洋服を着せ替えたり、ブロンドの髪を三つ編みにしたりポニーテールにしたりと一日中遊んでいられた。

だから子供の時は小国さんのような思いはしなかったが大人になって、いや歳を取った今頃になって、お雛様を飾って貰えなかった子供の時の自分が何とも切なくなってきたのだ。

ひな祭りは女の子が誕生したことを祝い、美しく健やかな成長を願う行事なのに。。

でももし母親が生きていたら、どんな雛人形を飾って貰えただろう。

私の生まれた頃はまだまだ豊かな時代ではなかったから、やっぱり親王飾りだっただろうか。

写真の中の若い母にそっと問いかけてみるが、答えてくれるはずもなかった。

                        イラスト(水彩)








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