お餅の話し
関東の鏡開きも関西の鏡開きも終わり、お正月のお餅が残っているお宅は少ないと思うが、私が子供の時はこの時期になっても餅箱の中にはまだ幾つかお餅が残っていた。
それは所々青カビが生え始めていて余り気持ちの良いものではない。
鏡餅にしても鏡開きの頃には、あちこちヒビが入り青カビが点在していたが、大人はそのカビを包丁やナイフで削って平気で食卓に出し ていたのだ。
今では鏡餅はプラスティックの真空パックになっていたり、切り餅も個包装で賞味期限が長くなったりで、お餅のカビなど知らない子供たちも多いと思う。
ましてやカビを削って食べるなど考えられないことだろう。
当時冬休みは叔母の家で過ごしていたが、そこでは年の暮れになるとちんつき屋さんにお餅をついてもらっていた。
ちんつき屋さんとは杵や臼やセイロを持参して、個人の家に餅つきに来てくれる人のことである。
もちろん自宅に杵と臼があって、お父さんやお兄さんがつく家もあれば、お餅屋さんに出来たお餅を買いに行く人もいた。
しかし買いに行くのはともかく、自宅でつくとなるとかなりの量が出来上がってしまう。
廊下には伸し餅が入った餅箱が何段も重ねられていた。
大人二人と子供の私だけでは、とても食べきれる量ではなかったはずだ。
結果、三が日は朝も晩もお雑煮、昼は磯辺焼きか安倍川餅であった。
そして三が日が過ぎても朝と昼の食事はお餅が続き、もうお餅を飲み込むのも苦痛であった。
だから子供の頃の私は、とてもお餅が好きにはなれなかった。
ただ台湾出身の隣の家では、お餅に砂糖を混ぜてつくと聞いて羨ましかったのを覚えている。
きっと甘くて美味しいのだろうなぁ。。と想像していたのだ。
そもそも子供にとってお雑煮や磯辺焼きはそんなに魅力的な食べ物ではないし、ましてや毎日続けばうんざりである。
かろうじて安倍川餅の甘さが救いだったが、それでも黄粉が口の中でモサモサして邪魔で食べ難かった。
そんな私がやっとお雑煮や磯辺焼きの美味しさに目覚めたのは大人になってからである。
余談だが寒の時期につく「寒餅」はカビが生えないと言われ、ゴマや青のりを混ぜた楕円形の「ナマコ餅」として売られていた。 確か東京に来てからもどこかで見かけたような気がする。
イラスト(アクリル)
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