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go to 神戸 2日目 ②

気を取り直した私は次に市立鷹匠中学校を目指して歩き始めた。

家の近くを流れる石屋川を渡ると再び昨日と同じ灘区に入る。

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石屋川は天井川(川底が周囲の土地より高くなってしまった川)として有名であるが住んでいる時は意識したこともなく、高校生の私はこの場所を単純にデートコースと思っていた。

当時、川沿いの道には一か所だけお誂え向きの藤棚とベンチがあったが、余り人の手が行き届かず草むらが茂り片側にはうっそうとした林が続いていた。

しかし今回行ってみれば両岸は綺麗に整備された石屋川公園になり、林もすっかり伐採されて見晴らしの良い景色が広がっていた。

30分も歩いただろうか、ようやく出身校の鷹匠中学に到着したが、ここも校内は見えず外から記念撮影をしただけで近くのバス停から適当に来たバスに乗った。

次の目的地は私が生まれ育った摩耶山の麓であるが、ここからは直通の乗り物がない。

水道筋3丁目辺りに見当をつけてバスを降り、水道筋商店街へ入って行った。

この商店街は幼いころ祖母に連れられてよく買い物に来たことは覚えているが、1丁目から6丁目まで延々と続くマンモス商店街のどこで何を買ったのか全く記憶にない。

今さらうろついてみても仕方がないので商店街を横切り、確信はなかったがとにかく北へ北へと坂道を上がって行った。

阪急の踏切を超えてさらに行くと見えて来たのは間違いなく摩耶小学校の大楠だった。

摩耶小学校は半世紀も前に私が卒業した小学校である。

校舎も裏庭もすっかり明るく綺麗に手入れされて、校庭の大きな楠だけが昔の姿を留めていた。

そこからさらに坂道をどんどん登って行くと傾斜は益々きつくなり、朝から歩き通しの私は足元もおぼつかなく、フラフラとやっとの思いで摩耶ケーブル下に辿り着いた。

子供のころ祖母と毎日犬の散歩に来ていた場所だが、よくこんな坂道を昇り降りしていたものだと感心する。

ケーブル乗り場のベンチで一休みしているとケーブルカーが降りて来ては上って行く。

毎年小学校の夏休みにはケーブルカー、奥摩耶ロープウェイに乗って摩耶山頂へ連れていってもらったことを思い出し、ふと乗ってみたくなったが時計をみるともう4時を過ぎている。

夏場ならともかく、この季節はあっという間に暗くなってしまう。

あと一ヶ所、見ておく肝心な場所が残っているので残念だが立ち上がり、

登って来た道とは反対側、観音寺川の方へ降りて行った。

新しい家が建ち並んだ道路の両側をキョロキョロ見ながら歩いていて、ふと正面を見るとなんと目の前に神戸港が見渡せるではないか。

何年も住んでいたのにこんな所から海が見えるなんて知らなかった。

子供の時は近くばかり見て遠くを見ないからだろうか、それとも単に背が低いから見えなかったのだろうか。。

あれこれ考えながらもう少し下ると、いよいよ私の生まれ育った所にやって来た。

幼い時に母を亡くした私は小学生まで、ここにあった屋敷で祖母に育てられた。

あえて屋敷と書いたが祖父が残した200坪余りの邸宅で、祖母と二人で暮らしていた。

祖母がその屋敷を手放す時、私は大きくなったら絶対買い戻してあげるんだと決心したのを昨日のことのように思い出した。

今はその跡に5軒ほどの住宅が建って昔の面影は何一つ残っていなかった。

しかしはす向かえを見ると「かおる幼稚園」の看板が昔のままに掛かっていた。

もちろん私が2年間通った幼稚園である。

当時、園長先生の孫である女の子と同い年でよく遊んだものだが、今は彼女が跡を継いでいるのだろうか、それとも彼女の子供つまり曽孫にあたる人が継いでいるのかも知れない。

この分では優に100年は続く歴史ある幼稚園になりそうだが、私が再びここへ来ることはもうないだろう。

                   go to 神戸 3日目へ ( 続く )

















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