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【再鑑賞】すずめの戸締りをラブストーリーとして観てみた

すずめの並外れた行動の原動力は、草太に対する愛情しかないでしょう。
無鉄砲な一人旅(椅子と一緒だけど)の道中と、スタントマンが何人いても命が足りないような危険極まりないアクション。何が彼女を動かすのか。

映画の冒頭で、坂道を自転車で下るときに出会った草太に一目惚れするシーンが象徴的です。ミミズが舞い上がる根本へ駆けつける原動力も、草太に会いたかったために生まれていました。

フェリーに乗る状況に陥ったのは仕方ないとして、乗船後からラストへ至るまで衝動に突き動かされていくすずめ。この気持ちなしにして、この映画は成立しません。

「すずめの戸締まり」といえば、3.11「東北大震災」をモチーフにした社会派映画というイメージが強いです。私も映画を見る前に小説を読んでから、正座をするかのような改まった気持ちで劇場に足を運びました。日本人なら忘れることの出来ない感情が突き刺さってくる感じ。最初に観たときの思いは以前書きました。

https://note.com/chibinataka/n/n767fcea9bdd9

再度観ることになった今回は、前回とは違うテーマを持って臨もうと思いました。映像美?音響?ダイジン中心?草太目線?決められないまま映画の世界に突入すると、必然的に二人の愛情がメインになりました。

こんなに重いテーマなのに、色恋ネタで良いのかとも思いましたが、むしろ必然に感じます。「君の名は」「天気の子」とこれに先立つ2作品も、ボーイ×ミーツ×ガールな主人公達の感情が、隕石の落下や記録的豪雨の異常気象といった世の中で起こっている出来事をものともせずに、突き抜けていました。

それに比べると、「すずめの戸締まり」は社会性が強く、世の中のために行動する要素が強いでしょう。しかし、後半にすずめの実家近くの扉へ行く動機は、人のためではなくすずめ自身のため。好きな人に会いたい、なんとか助けたいというピュアな気持ちに、突き動かせられて無理を通してしまう。結果的にダイジンとサダイジンが身代わりになって要石として収まってくれましたが、常世でミミズと格闘するシーンもダイナミックなものでした。

ミミズが収まり、東京へ帰るシーン。
草太はすずめと一緒に帰ることを選びません。一度は要石となった自分を振り返りたいためでしょうか。一緒に居たいのに押さえた行動に切なさを感じさせる場面でした。

でも、すずめの郷里の坂道で再会するシーン。
すずめが「おかえりなさい」と声をかけるラストシーンでありながら、これからの二人を想像させる印象深さはだれもが感じるところでしょう。
ああ、結局、二人のラブストーリーだったのだ。

さて、三回目はどんな見え方がするのやら、今から楽しみです。

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