case by caseという考え方

             (約2,000字)

記事を書く目的の方は、ツッコミ所満載の
記事になってしまったため、お引き取りください。
加筆、修正しました。


私は割と最初にお会いしたときの第一印象がいいので、付き合いが長くなると段々と嫌われてしまうことがあります。

リアルな話です。
あ、noteでも‥‥そうか。

これは容姿が優れているのではなくて、女性なら判ると思うが、いわゆる「可も不可もない」「人畜無害」な、大人しそうなタイプにみえるようです。

実際は割と仲良くなると、他の人が言い辛いことも聞いてしまうし、分からないことをそのままにするのが嫌だから知ろうとする気持ちが強くて、好き嫌いがわかれてしまう。
ちゃんと答えなくてもいい聞き方はしていますよ、マナーはあるつもり。

付き合う人はすごく仲良くなるけれど、あまり関心がない人は毎日顔を合わせる人であっても挨拶しかしない。

それで昔、すごく好きになった人から、
「仲良くなったと思っても、急に心の扉をガシャーンって、固く閉じられた感じがする」
と言われて、3日くらい立ち直れなかったことがあります。

人間関係を維持するのが苦手といえば苦手なのかもしれません。
誤解を受けたと気づいたとしても、それを説明して関係を修復する努力をしない。
「分かってもらえないなら、まぁいいか」
と、諦めは早い。

第一印象があまり良くない人は、その後の伸びしろがある。

第一印象が無駄にいいと、その後に何か良くない印象を植えつけると、どんどん悪い方向へイメージが引きづられて、仲間うちからは「あんな人だとは思わなかった」と陰口を叩かれて、一気に株が下がる。

そうすると、私の持ち前のどうでもいい「諦め」サインを発動して、修復を試みずに心の距離が遠のいていく。

みんなそうなのかな。
バランスがいい人は、そのへんを上手にやっていけて、当たり障りのない関係を構築していく。
それを没個性とも言いますが。

井戸端会議ができない。
女性は社会性を維持するために近所の人と長話をして、協調性を養っていく。
私は、どうでもいい話を長々とするのが面倒で、その輪に入るのが苦手である。

なんで結論もオチもない話を、我慢して聞いていなきゃいけないんだろう、と思ってしまう。
平たくいえば、可愛くない人間です。
他人の話を聞くのは好きだが、無意味に思える会話を延々とする井戸端会議は、死ぬほど嫌い。
職場では、女性と話していると個人的嗜好を聞かれるので、めんどくさく感じる。
好きなタイプとか、どこに住んでて、何時に寝てるとか、どうでもいい。
男性とは仕事の話とか、当たり障りのない会話だけなのでストレスを感じることが少ない。

だから上司が男性でも、女性的思考の持ち主だと全く合わない。ひたすら嫌われてしまう。

第一印象は大切だけれど、あまり最初は印象が良くない方が長い目でみると得ではないかと考えている。
誰からも好かれると「一瞬」思われるより、長く浅く愛される人が、結局、幸せになれるように感じる。

可もなく不可もない
大人しそう
な人間なら、よかったんだけど。

私は見たイメージと中身が、極端に違うから
近しく感じてくれるのは、ほんの一握り。

男性は社会性、協調性があって、静かなタイプの人を好むから、私はあまり求められない。
たまに天然記念物のように思って近づいてくれる人はいるが、ガッカリさせてしまう率が高い。

そんなわけで、noteの人とリアルで会うのを
避け続けているわけです。

冒頭のcase by caseは、大人になって獲得した能力です。
やり過ごせない気持ちを抱えて、生き辛い人生を選んで、異常なビューの数に地団駄を踏んで、それでも書き続けていて。

他人からおせっかいだの、邪魔扱いされて、
noteで書く意味も分かりませんが、
正直なところ、落語の配信はやめようかと迷っています。

ビュー数はものすごく多いのに好かれないなら、声が嫌悪されているのか、聞き辛いのだろうと推測します。
スキの数を信じて、あまりスキがないなら
あっさり辞めてスタエフだけで配信しようと
思います。

ビュー数でこれだけ気持ち悪い思いをすると分かっていたら、
「スキとフォローをしてください」
と言っておけばよかった。
(望んじゃいないけど。)

イジメもね、無くなる時代は来ないかもしれません。私は色々な職場に転職したけれど、
その様相を垣間見ない職場はなかった。

私は変わり者だからイジメられている人に話しかけるのが苦ではないし、誰がどう思おうが
たいしたことでは無いと心の中では感じている。イジメたい人はそれを悪と思いもしないおバカさんなので、つける薬がないのも理解している。簡単に世界が変わるわけがない。

集団の中には正義とかの正しさを嫌う人間が必ずいて、そういうタイプの人は自分が一番になりたい傾向があるため、相手にするだけ時間の無駄で、優しい世の中は自分から作る努力をするしかない。

私が押し付けの思想というのなら、
誰もここで自分の文章を書けません。
エッセイって、自分の考えを書くものです。
こうしてほしい、と頼むつもりもない。

優しい世界はひとりでも発信するしかない。

それは「ちび蔵」だから言えることだよ、
と非難されそうです。

私だって、足がすくむことがある。
躊躇する。
泣きたい気持ちで話すことがある。

困っている人を助ける術はある。
私は書くだけでも意味があると信じている。

これは偽善でしょうか。

あなたにだって出来るんですよ。
ただ、やらないだけ。


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