書くこと、読むこと、読ませること、読まれること📚
(約1,500字)
マイルールで、
『投稿は、一日に2回までにする』ことにしたのは、読む側の立場を考えたから。
一日に多投稿をされるnoterさんの記事に目を通せなくなってしまった。
スキをもらえば、2記事は読みに行っています。だから、スキをつけない記事は開いていません。
スキをくれた人の記事を読む →
未読記事を読みに行く →
コメントする →
コメントをもらった記事に返事を書く →
フォローしてくださる方の記事を読む →
記事を書く →
推敲する →
発信する
の繰り返し。毎日、はじめましてのnoterさんの記事を読む。ふた記事を読む。
時間がかかる。
読む記事を選ぶ。
難解な記事や、レイアウトがギッチリで読みづらい記事、長文の方は、後まわしになる。
目次が構成されていても、長くなるな、と構えてしまい、後になる。
私は国語が好きなので、それらから読む。
好奇心が強いので、理数系記事も読む。
『自己奉仕バイアス』という言葉があり、自分がやったことの評価を高く見積もる傾向があるらしい。
「私は頑張っているから、評価して!』というもの。他の人も手間暇かけて努力しているが、自分だけが評価が低いのではないか、周りが正当な評価をしてくれない、という思い込み。
だから、誰かの記事をよんでスキをつけるときに、長い文章を読んだ自分に「これだけ時間をかけたから、スキをつけよう」という気持ちが生まれてくる。
内容はともかくとして、なのだ。
スキをつければ、相手もスキをくれるだろう、という見返りを待ってしまう。
私はどんなに自分や家族の話を切り売りしてくださっても、どこにでもある話、沢山の読者に共感してもらうための内容だと思えばスキをつけない。
私が反省しなければいけないのは、頭がかたくなっていること。
年齢を重ねると、どうしても経験値があるから、「知ってるし。」とか「キラキラしているだけでもなぁ」みたいな新鮮な感覚を受けとめにくい気持ちになることがある。
平たく言うと、厳しくなってしまう。
長い文章を読むことが習慣になっている人は、長い文章でも硬い文章でも読む。
職業柄や長い文章を書き慣れている人も、そうなのが分かる。
私の記事は、スキの数がそう多くないが、
コングラボードがよく届く。
昨日は、3枚届き、1回操作ミスですぐに消えてしまったから、4枚届いたのかな。
何を言いたいかというと、スキの数は、正当な評価かどうか怪しいということ。
実際、私の記事が「つまらない」のかもしれないが、コングラボードが何度も届くということはスキを付けずに何度も読みにくる人がいるのかもしれない。
そんな方📣スキをくれなくてもいいから、
「こういう記事を書いてくださいな」
というメッセージがほしい‥‥
多分、応えられると思う。
専門的な分野でなければ。
コメント欄は、極力スルーしないようにしている。コメント欄のスキが付いていなかったら、
私が気が付いてないだけです。
つぶやき記事には、スキをもらいやすい。
ちゃっちゃと読めるから、お礼のスキがしやすいのかもしれない。
長い文章を読んだからといって、自分が時間を割いたご褒美を誰かにしなくていいんです。
お付き合いのスキなら、いくらでもしてあげていいと思います。
相手のためにしてあげることで、それを望まれているのなら。
本当に誰かのためになることは、自分を偽らないこと。
相手が慢心しないために、
語彙力を磨くために、
スキを遠慮すること。
私は、面白いと思わないなら、スキをつけないでほしいけど。
(マウントを取りたいわけではないですが、
そう捉えられても仕方ないと思って
書いています)
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