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2021年あけましておめでとうございます! 皆様昨年はどんな年でしたか。 僕自身は40才でミュ…
ミュージシャンは食えるのか。この永遠のテーマを追いかけてずいぶん経つ。17でギターを始めて…
これまでアーティストとしての自分の世界観を表現する為にはプライベートの露出は必要ないと思…
20年間のピークは実は結構早くて、一度目の盛り上がりは21歳の頃。バンドDUTY FREE SHOPP.を結…
2003年に留学から帰国後、完全に浦島太郎状態になった僕は、そこから不在の期間を取り戻そうと…
夢みたいな状況は長く続かなかった。 アルバム契約があと一枚残っている状態でスタジオでプリ…
幸いなことに当時DUTY × カクマクの制作でお世話になったイガルー・サウンドスタジオの厚史さんから音楽ソフトProtoolsでの録音と編集のやり方を教えてもらったお陰で、ちょこちょこ他のミュージシャンのアレンジやCD制作の仕事が入るようになっていた。 はじめはそれで食えるようになるなんて思っても見なかったが、今実際自分はそれで食っている。食えるようになるまでの10年間は色んなことがあった。 フリーになった始めの頃、東京帰りの若い音楽クリエイターに誘われて、彼が起業した音
27歳、僕はうつの手前までいって音楽制作の会社を辞めた。 若い頃は華やかな音楽の世界に憧れ…
隙間産業を見つけて、やっと音楽での生活が少し安定し、そろそろ自分の作品を形にするかと思っ…
アルバム「新しい世界」は背水の陣で臨んだ。 貯金全額100万円をつぎ込んだ。 当時31歳、子…
アルバム「新しい世界」制作の「裏目標」として掲げたのは、音楽パートナー探しであった。 今…
米須雄作とサキマジュンというマルチプレイヤー二人と出会い、トリオ編成で数々のステージを共…
バンドからソロになるということは、ものすごい乱暴な言い方をしてしまえば、ジャンルの分類が…
新しい世界から実に四年の月日を経て、シングル「海鳴りの島」は世に出た。 1stアルバム「新しい世界」をリリース後、僕は銀行口座に毎月一万の自動積み立てを始めた。明確な目的があって始めたわけじゃないが、こうでもしないと毎日の生活に追われて貯金が出来ないと思った。 一万円×12ヶ月、一年で12万、四年と二ヶ月で50万貯まった貯金を、子どもたち、ゴメン、と思いながら、もう一度CD制作費に突っ込むことにした。 「海鳴りの島」は当初、シングルではなくアルバムの予定で制作を進めてい