バンドへの退路、執着を断つ

米須雄作とサキマジュンというマルチプレイヤー二人と出会い、トリオ編成で数々のステージを共にした事は自分にとって大きな財産となった。

もちろん、恐る恐るだがバンドに発展する可能性もこっそり期待した。

二人は自身のバンドやアーティスト活動もある上に色んな人のサポートで引っ張りだこのミュージシャンだし、なかなか金にならない僕のバンドに専念させることは出来ない。

もちろんお金だけの問題じゃなくて、バンドというものは音楽性だけでなく、経済的なこと、スケジュール、性格の相性、それぞれの人生のタイミングなど、色んな要素が複雑に絡み合って奇跡的に成り立つものだ。逆にこれらの要素がひとつでもずれたら成立しない。

僕自身もまがりなりにも音楽で食っている以上、今は一人でいっぱいいっぱいでバンド活動に舵をきる経済的ゆとりは無い。バンドは夢だ。だからたまに廻って来るご褒美のようなボーナスのような時間がたまらなく愛おしい。一緒に演奏して下さる皆さんには感謝しかない。

自分のバンドへの退路が断たれたことを明確に自覚するきっかけとなったのは2015年のODDLANDフェスだった。

その時僕は米須雄作とサキマジュンの二人が所属するインストバンド「ヒカリトカゲ」をサポートメンバーとして迎え、正式メンバーは自分だけだがDUTY FREE SHOPP.というバンド名義での出演を予定していた。

実はDUTY FREE SHOPP.名義での出演はフェスの主催者であるタマナハユウが提案したものだ。ソロではなく、DUTYとしてだったら出て欲しい、と。僕は迷った末に、一人でDUTYを名乗り、バックバンドをつけた編成でやろうと思う、と元のメンバー達に電話で伝えた。バンドを一から組み直すのは難しいが、既に成立して活動しているバンドなら、初期段階をすっ飛ばして本題に入れる。しかも既に二人は僕の曲を覚えている状態。やれるなら今しかない、と思った。あくまでヒカリトカゲにはサポートとしてバックバンドを依頼する形だったが、これを機にもう一度バンド人生に戻れるかもしれないという最後の期待をかけて半年間準備してきたた。

ところが当日の天気は大荒れ。一番大きいステージで演奏予定だった僕らの出番は、音響担当責任者の現場判断で、まさに僕の目の前で中止になった。

数日後、失意にくれる僕にヒカリトカゲのメンバーがある提案をしてくれた。せっかくここまで練習してきたので、一週間後に予定されている対バンイベントで、ヒカリトカゲの枠の中でゲストとして登場してDUTYの曲をやったらどうか。自分からは絶対に言い出せない事だが、本当にありがたい言葉だった。

バンドでライブハウスに出る事自体が、もう何年ぶりだろう。ライブハウスってこんなだったな。普段弾き語りでカフェやバーでの演奏、それか地域の祭りや野外フェスでしかこの何年もやっていなかったので、久しぶりに吸ったこの空気にクラクラした。

対バンは主催の385、我如古ファンクラブ、メカルジンという強豪ぞろい。385はボーカルのミヤさんがおめでたの為、ボーカルを色んなゲストがサポートに入り歌うという変則編成だったが、最強だった。

ライブは勝ち負けではないが、正直負けた、と思った。誤解の無いように言うが、決してその日のライブや演奏が悪かったという訳ではない。むしろその時の動画見ると、自分で言うのもなんだけど、今見ても震えるくらいかっこいい!!お客さんからも沢山好評を頂いた。

もちろん、ヒカリトカゲの演奏もばっちりだった。良いバンドだな、と思った。

日頃から練習やプライベートも共にするメンバーならではの結束力のある音だった。385のステージにゲストボーカルで参加したサキマジュンやむぎ(猫)も嫉妬するくらいかっこいいパフォーマンスを見せた。

と、同時に自分自身がこのメンバーのポテンシャルをまだ本当に発揮させるようなアプローチを出来ていないと感じた。それにはまだまだ時間がかかるし、色んなステップを踏まなければならない。

もし今後ライブハウスを主戦場として更なる高みを目指してバンドで戦っていくなら、サポートを迎えた「バンド編成」ではなく「正式に」バンドを組むしかない。でないと、固定メンバーで何年も毎週練習やライブをしながら経験やモチベーションを共にしてきてるバンドには到底勝てないということを痛感した。

でも、現実的にバンドでやっていけるという状況がない以上、やり方を変えるしか無い。ライブハウスの対バンを主戦場にすることは出来ない、あの晩、僕のバンド人生への退路は断たれた。

続く

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