見出し画像

誰かを支える仕事につくたった一人のあなたに伝えたいこと。

お久しぶりです。
ちばこです。

祖母の死から祖母を偲ぶために始めたnoteですが、コロナ禍と人生の転機に起きる激動の日々に気持ちと向き合うことを置き去りにし、気がつけば1年以上の日々が過ぎていました。日々を過ごし、またここにnoteを記そうと思った経緯を少しだけ聞いてください(^^)

年末には大好きだった会社を辞めました。
責任のある時期に責任のある仕事を任せていただき、本当に充実した日々でした。ただ少し、未来がうまく描けない程度には一杯一杯だったように思います。もちろん「今日を守る」ことがどれだけ尊いことかは、認識しているつもりです。
自分自身の生活やライフステージとも向き合って行きたいと思い、新しい場所での新しい生活に身を置き、初めて先を決めていない毎日を送りました。

会いたい人に会いにいき、人のあたたかさを思い出し
雄大な自然を感じ、人生の豊かさを思い出しました。
年末年始には家族と過ごし自身のルーツを再確認し、やっと未来を見ることに目を向けられるようになった気がします。

「何がしたい?」「誰と生きていきたい?」
「どんな人生を送りたい?」
対人支援職の性でしょうか?
自問自答を繰り返す中で、ふと浮かんできた言葉は
「だれかを支える人を支えられる人でありたい」でした。

それは20代前半に、同年代の若い職員が介護の現場で疲弊し自身が病んでいく姿を見て心に浮かんだ決意。
「誰かのために、って思える人が辛い思いをするなんてちょっと違う。この子たちこそ笑顔でいていいはず!!」
そんな少し乱暴で大雑把な願望は、たくさんの出会いによって導かれてきました。
たくさんの人が集まる居酒屋さんで、たくさんの年代・たくさんの職種の人と出会いました。
大嫌いだったギャルは関わらず嫌いだっただけで、いい子がたくさんいました。
個人ではとても出会えないような人材育成の研修にも参加しました。
夢を応援してくれる看護師さんが、町で信頼されるお医者さんに引き合わせてくださいました。そのお医者さんから「その想いを叶えるために、知識と技術は身につけていて損はないよ」とご助言いただき看護学校にもいきました。
今まで携わったことのなかった障害児支援に従事し、
保育と療育という分野にも興味を持ちました。
それがきっかけで、保育と介護と障害についての事業を運営する会社にご縁をいただき、恐れ多くも管理職も経験させていただきました。
介護を受ける人も、働く人も、ご家族や地域の人、関わる人全てに笑顔でいてほしい。大きな夢を抱くと共に、自分の無力さに打ちひしがれることもたくさんありました。

やってもやっても追いつかない。
課題は次から次に出てきて、人生には待ったなし。
人の死にも何度も直面したし、行き場のない怒りをぶつけられることもあった。
必死に考えた選択も、ご本人に手のひらを返したように裏切られる事もあった。
なんであの人は働かないの?って人を責めたくもなった。

…と思った時に、ハッとしました。
あれ、私、誰かを救えるとか思い上がってるんじゃない?って。
一人で頑張っているって、勘違いしているんじゃない?
「それぞれの人生を共に生きる」から「私の理想通りの世界を生きる」に切り替わってない?って。自分の位置を見失っていたんですね。

対人援助職にとって大切なことは、自己覚知です。
自分自身の大切にしているもの、考え方の癖、価値観を知り、他者と違うことを自覚する。自分自身が個として立ち、相手を個として尊重すること。

「誰かに救われた」と思いに至ることはあっても
「誰かを救う」ことはできないのです。

人生はその人のものだから。

できないことに囚われて、自分と他人の境目を見失ってはいけないですよね。
そんな当たり前のことが見えなくなっていました。
20歳の私が支えたかったのは、30代の今の私かもしれません。

たくさんの経験と失敗をいただいた今、
介護の現場で働きながら同じように悩んでいる人たちに、これを届けたい。と思うようになりました。
毎日の仕事に追われて自分自身を見失わないように、自分を削ってしまうことのないように、定期的に自分自身をみつめる自己覚知のための場を、コミュニティを作りたい、と思うようになりました。
誰かを救ううことはできないけど、共に自分を見つめる場を作ることはできる。
いきなり大きなことはできないけど、少しずつできることから始めることはできる。

誰かのために、と優しい気持ちを持って仕事をしているあなたへ。
立ち止まって大切な自分自身を見つめることに時間を使ってみませんか?
誰かも、あなたも、大切にできるたった一つの方法を一緒に実践していきましょう。

chibako



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?