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極楽浄土はどこにあるか。

本日で祖母の四十九日を迎えました。
四十九日は、極楽浄土にいくか、地獄にいくか、のお裁きがある日。
とのことですが、孫としてはひとえに、七夕に旅だってやっとおじいちゃんに会えたのか~。
と感慨深いです。
 
おばあちゃんに限ったことではないのですが、
ご高齢の方が死期を目の前にして、
空虚または暗闇に向かって、
(うちのおばあちゃんは仏壇に向かって)
『今いくからな』
と、お話になる場面に、何度か出会ったことがあります。
 
私には全く霊感がないのでなんとも言えませんが、それでも、
どなたかがお迎えに来ることはあるんだろうな…
と、感じています。

死期が近づいていることは、
わかりやすく身体的なサインで現れることもあります。
時には呼気の匂い。
時には身体のむくみ。
時にはふっと何かが抜けたような目の窪み。
 
身体の変化と、不思議な言動。
介護のお仕事をしていると時にそんな場面と出会って、お別れを予感します。
 
おばあちゃんも、そんなサインをくれたから、
後悔しないお別れが出来た。
そう、思っています。
 
そうやって亡くなった命は、どこにいくんでしょうか。
 

仏教で言えば輪廻転生。極楽浄土。
神道で言えばみな神様。
様々な考え方がありますが、
私の答えは『死んでみないとわからない』
 
極楽浄土はあるかもしれない。
それはただ単に『思念』の作り上げたものかもしれない。
幸せの記憶かもしれないし、
実際に存在するかもしれない。
 
生きてたら、わからない。
だから、死ぬときまでに、
生きてるうちに、
後悔しない生き方をしたいなぁ、と思う。
 
死ぬときに『やりきったー!じゃあ極楽浄土いってくるね』
『あ、神様にもなって見守っとくね!』
くらいの生き方をしたい。…とてもテキトウな私。

今のところの認識は『よく生きる』ための考え方であり、
気の持ちようであり、心の拠り所である。
 
極楽浄土とは、苦しみのないところ。
幸せに満ち溢れているところ。なんですって。

それなら、私はおばあちゃんの隣にいる時は、
苦しみもなく、憎しみも生まれず、
なんとも言えない幸せな気持ちに溢れた世界だったよ。
今でも、おばあちゃんを思い浮かべれば、私の心は極楽浄土です(笑)
 
まぁ。
このおばあちゃん大好きな気持ちも1つの『執着』なので、私はまだまだ人間界で生きてく必要がありそうです(笑)
ありがとう。大好き。
おやすみなさい。
見守っててね。

たくさんの気持ちを込めて。

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