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谷川俊太郎『しんでくれた』を読んで

みなさん、こんにちは。牛ラボマガジンです。牛ラボマガジンでは「牛」を中心としながらも、食や社会、それに環境など、様々な領域を横断して、たくさんのことを考えていきたいと思っています。
これまでの2回は有識者へのインタビューを行ってきましたが、今回は少し毛色を変えて、読書感想文のようなものをお届けしたいと思います。私たちは牧場の運営に携わるにあたって、たくさんの本を読みました。知らないことばかりでとても勉強になりましたし、いろんなことを考えさせられました。
今後は、読んだ本の感想など、インタビュー以外のコンテンツも少しずつお届けできればと思っています。

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今回ご紹介するのは『しんでくれた』という、谷川俊太郎さんの詩と、塚本やすしさんのイラストによる絵本です。絵本だからといって侮ってはいけません。たくさんのことを考える、とても良いきっかけになりました。
ぼくはこの本を読んだあと、頭がぐるぐるとまわるのを実感しました。最初は「あ、こういうことか」と単純に考えていたのですが、一晩たったら「あれ、いや、こういうことか」と180度違う感想がうまれました。
そんな風に、単純でありながらも、難しいことを考えさせてくれる本でした。内容と感想を少しだけお伝えします。

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まず、「しんでくれた」というタイトルです。「しんでくれた」というのは、「死をくれた」ということです。もっとていねいに言うと、「自らのいのちを私たちに与えてくれた」という意味になります。
このタイトルを見た時点で内容の予想がつく人もいるかと思います。そしておそらくその予想は合っています。私たちは動物を食べている。動物を食べるということは、その動物のいのちを奪っているということ。私たちのために、動物はしんでくれている。だから私たちはその分も生きていかなくてはいけない。そういう物語です。

この本の中では、「しんでくれた ぼくのために」「ありがとう うし」「ぼくはしんでやれない」など、さまざまなセリフが登場します。
たしかにそうです。私たちはほかのいのちをいただきながら生きています。でも、多くの人はそのことに対して無自覚でしょう。だからこそ、そのいのちに向き合い、しんでくれた動物たちに感謝し、その分も生きていく。大切なことだと思います。単純に読むと、そんなことを教えてくれる本です。

ですが、本当にそうでしょうか。「しんでくれた ぼくのために」、本当にそうなのでしょうか。牛にそのつもりはあったのでしょうか。「この子のためにしんであげよう」、そんな風に牛が考えていたのでしょうか。牛の気持ちはわからないのであくまでも想像になりますが、普通に考えて、牛はそんな風に思わないと思います。できることなら、痛い思いも苦しい思いもせず、毎日たのしく生きて、しんでいきたかったと思います。
だからこの「しんでくれた ぼくのために」という言葉は、非常に身勝手で、人間中心主義的な言葉だとも言えます。「しんでくれた」という表現の主語は人間です。まったく牛の立場になっていません。そういう視点で読むと、なんだか主人公の子どもがこわく見えてきます。そして、子どもがこわい前提で本を読み直すと、すべての台詞がこわいものに見えてきます。
その身勝手さは、「ぼくはしんでやれない」という台詞にも表れています。この本の中では、「ぼくはしんでやれない」の理由の一つについて、「家族がかなしむから」という風に描かれています。牛の家族はかなしまないとでも思っているのでしょうか。

この本は、「動物のいのちを大事にしなくてはいけない」というメッセージを伝えると同時に、「人間の身勝手さ」を教えてくれます。人間の身勝手な理由によって動物の殺害を正当化する、そんな物語なのです。自分の中で生きている、動物のぶんまで生きる、そう思うことによって殺害を否認する、そんな物語なのです。この本を読み終えたあと、「しにたくなかった」、そんな牛の声が聞こえてくるようでした。

しかし、こう書くとなんだか、「人間は悪で、動物は純粋だ」というように思えてきます。でも、二分法が危険だということは、前回の中山さんへのインタビューで勉強しています。もしかしたら、「人間の身勝手さは実は正しい」可能性だってありますし、「動物は実は純粋な存在などではない」可能性だってあります。つまり、単純に「人間は悪で、動物は純粋だ」などと言うことはできないのです。「人間」と「動物」の関係というものは、もっともっと複雑なのです。

そもそも「人間」と「動物」という二分法が正しいのかどうかも怪しいものです。「動物のような人間」もいれば、「人間のような動物」だっているでしょう。わたしたちはいのちについて考えるとき、ついつい「人間=悪(害、欲望)、動物=善(純粋、無垢)」のように考えがちです。でも、そんなことはいったい誰が決めたのでしょうか。まったく逆の可能性だってじゅうぶんにあります。だから、もしかすると、そもそも、「人間」と「動物」をはっきり二つに区別してしまうこと自体が危険なのかもしれません。人間が都合上その二つに分割しているだけであって、本当は割り切れるようなものではないのだと思います。
動物のいのちについて考えるために、人間とは何なのか、動物とは何なのか、もう少し考えを深める必要がありそうです(こういったことについては、ジャック・デリダという哲学者が、『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』という書籍の中でたくさん語っているのですが、それはまた別の機会にご紹介できればと思います)。

この本を読んで何かの回答を得ることは難しいと思います。ですが、シンプルな本にもかかわらず、たくさんのことを考えさせてくれました。読んだあとにもやもやが残って、ついついいろんなことを考えてしまう。そんな本でした。
また、取り扱うテーマと絵本というフォーマットの相性がよく、人間と動物について考える最初の一歩としてとても良い本だと思います。ぜひみなさんも読んでみてください。

今回は第一弾の読書感想文ということで、誰でも読みやすい絵本をご紹介しました。今後も少しずつ、読んだ本についてご紹介できればと思いますので、よろしくお願いします。

『しんでくれた』谷川俊太郎
https://www.amazon.co.jp/dp/4333026504/

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(執筆・編集:山本文弥)