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「留学の感想」をなんて言おう

 昨年9月からの留学生活も終わりが見えてきた。野球で言えば8回表2アウト、箱根駅伝でいえば復路の鶴見中継地点手前、飛行機で言えば着陸態勢に入って車輪を出したあたりだろうか。帰国が近づくにつれ、この留学生活の感想をどう表現するか、という大きな課題が浮かび上がってきた。「感想なんて思ったままを言えばいいだろ、なにを悩むんだ」と言う人もいるだろう。ごもっともである。ただ、世間はそんなに甘くないのではないか、と思っている。

1.先人たちの轍は踏みたくない

 正直な感想を述べたらどうなるだろうか。「多くの国の人と関わって自分の視野が広がった」「コンフォートゾーンから抜け出すことでメンタルが強くなった」「語学力があがった」、これらは全て事実である。日本で20年過ごした僕にとって全くの別環境で育った人間の意見は新鮮を通り越すほどの発見の連続であったし、コミュニケーションすらままならないという状況はメンタルと語学力の向上の両方に間違いなく寄与した。ただひとつ大きな問題は、こういった類の感想はもう数々の先人たちによって言い尽くされているという点だ。

 例えば、目の前の人が高級なエビの寿司を食べ、「このエビすごいぷりぷりで美味しい」と言ったとしたら。「んなこと食べなくてもわかるわ」という感情がよぎるだろう。どんなに優しい人でも、わずかながらもそう思うはずである。これは僕がひねくれているわけではない。そう信じている。「エビがぷりぷり」というのは食べなくても予想がついてしまう感想、いわば予測可能意見なのである。

カナダで見つけた日清シーフードヌードル。味は全く持もって同じでした。おいしい。


視野の広がり・メンタルの強化・語学力向上、これら3つは間違いなく留学分野における予測可能意見だ。「こいつ1年弱もカナダで過ごしてその程度の感想しか抱かねえのかよ」そんな顔をされた日には全速力でUターンして成田空港に向かい、カナダ内陸のこの小さな街に逃げ帰ることだろう。

「カナダのハワイ」ほんとかよ。

2.1年弱を一言で述べるのは無理がある

 異国に秋から夏まで滞在して、思うことがないわけがない。僕だって感受性の端くれくらい持っている。

   到着直後、絶望的な英語力に打ちのめされて英語を見るのすら嫌になり、出発前に設定したiphoneの言語を英語から日本語に戻したこともあった。教科書通りのホームシックに苛まれ、ホストファミリーに本気で慰められたこともあった。そんな中、つたない英語に構ってくれる聖人たちに救われ友人もでき、ダウンタウンの土地勘も養えた。骨の髄まで集団主義が身についているがゆえに個人主義に嫌気がさしたこともあった。カーリングやスカッシュなど謎の競技にも手を出し、クリケットの空振りが全国放送に晒されたこともあった。けどなんだかんだ海外に住むのも悪くないななんて思っている。

春とともに活気が戻ってきたキャンパス。この日の気温は10度。肌寒いのに半袖がたくさん。カナダ人、強い。


 これだけの出来事をうまく表現できる言葉はまだこの世にない。「楽しかった」でまとめたらカナダに怒られる気もする。面積のでかい国に殴られたらひとたまりもない。「充実してた」も会話を放棄している気がしてならない。「日本食が美味しくなかったよ」なんてボケをしたら最後である。帰国早々盛大にスベる羽目になる。

 まだ答えは出ていない。結局満面の笑みで「楽しかったよ!」と言っている自分も鮮明に想像できる。「こいつは最後までいい感想が思いつかなかったんだな」と温かく見守ってほしい。ただ、本当に楽しかったのだ。それだけは間違いない。過去のnoteにいろいろと文句も書いたが、振り返ってみて後悔はほとんどない。強いて言えば、ろくにメープルシロップを食べなかったことくらいかな。

p.s. まるで集大成かのような締め方をしてしまいましたが、まだ2ヶ月ほど帰りません。noteも書きます。留学が終わりに近づくと帰りたくなくなるなんて話をよく聞きます。ただぼくは全然焼肉欲とカラオケ欲が圧勝しています。

このあいだ突如として中庭に現れた「カーニバル」と名乗る1日限りの謎イベント

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