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バルセロナとセルダ先生:カタルーニャのユルバニサシオン

某日某朝、家人が出かけた後の玄関に、プリントが落ちていました。
拾い上げた瞬間に、「カタルーニャ独立問題」の文字が目にとびこんできました。
社会科のプリントですね。

カタルーニャ…!
お母さん、朝からすっかりスペイン気分です。

カタルーニャ州は、スペイン北部に位置しており、経済都市バルセロナを州都にもちます。フランスと国境を接しており、パリ留学中に日帰り(たしか)で遊びに行った記憶があります。

アンダルシア(南部)の青い空もなく、フラメンコのオレーでもない、イタリアで言えばナポリに対するミラノ、みたいな感じでしょうか(たぶん)。

そして。バルセロナといえば、なんといっても、
イルデフォンソ・セルダ先生(1815-1876)です。

Par Ramón Martí Alsina — https://www.flickr.com/photos/ateneubarcelones/7610664578, Domaine public, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=85188481


セルダ先生。19世紀半ばのカタルーニャ出身の都市計画家で、政治家です。
近代バルセロナの整備拡張計画を立案しました。

中世的な都市空間を近代的都市構造に整備計画を進めた人物であり現在の整然とした放射状の街並みは、まさにセルダ先生によるものです。

さらにいえば、著述家でもあったセルダ先生は、「ユルバニズム」の概念を最初に提唱した思想家でもあります。

詳しくは、「アートスケープ」用語集にて:
https://artscape.jp/artword/6916/


わが母校・パリ都市計画研究所が、「ユルバニスム」の概念のもとに1919年に設立され、創設者のマルセル・ポエト、アンリ・セリエ両先生がこの概念を自覚的に使用したことからも、都市空間を多面的に捉えて学ぶ教育が伝統的になされていたのだと思います。

そんなことから、初夏の休暇に訪れたバルセロナの街で、授業で勉強した放射状に整備された街並みや、角切りされたブロックの石の冷たさに間近にふれ、その瞬間から、わたくしの中では、かなり誇張したかたちで言えば、セルダ先生といえば「バルセロナの都市神」くらいになったのかもしれません。


そんな偉大なるバルセロナの都市神・セルダ先生ですが。

たとえば、同時期に、隣国の首都パリの都市改造を手がけたオスマン男爵(1809−1891)や、もしくは、同じバルセロナの街に、サグラダファミリアやグエル公園などを遺したアントニオ・ガウディ先生(1852−1926)と比べると、知名度の点では、ちょっと後塵に拝するというか、地味な存在のようにも見えてしまいます。

それが個人的には悩ましくて、セルダ先生はオスマン先生やらガウディ先生やらより忘れられかけているのではないか…と、ここ最近は暗澹としています。

セルダ先生、パリにおけるオスマン男爵に比肩する存在のはずなのに。
ガウディ先生よりも、着工面積はずっと大きいのに。
ユルバニスム概念だって、提唱したのに。

それもこれもナポレオン3世のさしがねか、
スペイン継承戦争の名残か、
はたまた欧州列強内の政治的位置付けの違いか、、。
悩みはつきません。

そんなことばかり苦悩していると、
いつかセルダ先生が、寝苦しい夜に、夢枕に立ち、

・・・都市計画家だし、後世に知名度なんてなくたって関係ない
業績に翳りはないのであるし、有名なことってそんなに大事?
そもそも、バルセロナについて、貴様は何を知るのだろうか・・・

…とかなんとか、純粋な瞳でじっとにらまれたら、
口をつぐむしかないな、と、さらに妄想は広がります。
もうじき、お盆ですしね。

そもそも、バルセロナについても、ユルバニスムについても、オスマン男爵についても、いわんやカタルーニャをや、何も知りません。

無知蒙昧な母にはつべこべ言う権利などないので、とりあえず、カタルーニャ独立についてのプリントを眺めなおした次第ですが、その歴史文化的経緯が、あまりにも錯綜していてびっくりしました。かつて大学受験の世界史で悩んだスペイン継承戦争ばりの複雑さで、母は頭を抱えました。学生は大変だ。

自分が、セルダ先生になるとか、カタルーニャ人になるかぐらいして歴史や都市を理解しようとしなければダメですかね。それでもダメかも。。

都市の所有者は誰かと、それだけ考えよう、と思います。
どうでもいいですが。
(ぼやき終了)

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