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ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踏団の公演パンフレット、2003

2003年11月に新宿文化センター大ホールで行われた、ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踏団「過去と現在と未来の子どもたちのために」の公演パンフレットです。

ピナ・バウシュ(1940-2009)が亡くなって、もう12年ですね。

ピナ先生はドイツ生まれ。ピナ先生がヴッパタール舞踏団で創作したダンスは、「カフェ・ミュラー」のように、生身の男女が葛藤する姿を描くものも多く、フランスやロシアの古典バレエのような、お姫様と王子様のファンタジックな世界観とは異質でした。こうした、踊り手の生のありかたまでをダンスに含みこむ演劇的なダンス(タンツ・テアター)は、舞踏学校時代の師匠であるクルト・ヨースゆずりのもので、ドイツ表現主義舞踏や、モダンダンスの流れをくむものです。

東京では、2000年代前後において、表現主義の影響の強いドイツ映画やドイツダンスがあれこれ紹介されていた気がします。落成まもない新宿パークタワーホールで行われた伝説的な講演会、「ドイツ・ダンスの100年 : 映像で見る身体のイメージと表現主義」(1996)の会場で、若い頃のバレエダンサーとしてのピナの映像が少し出ていた気がします。

上演芸術のなかでも、とくにダンスは、舞台上の時空の渦に見ているものを巻きこみながら、ふいに消えさってしまいます。ピナ先生が見せてくれたタンツ・テアターの、緊張と弛緩のいりまじったあのなんともいえない時間のありかたは、懐かしい芳香のように、ただならない余韻を残しました。

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そんなピナ先生ですが、困ったような顔で、控えめな表情を浮かべる肖像写真が印象的です。

いつだったか数十年前、わたしがまだ若かった頃、とある立食パーティのテーブルにピナ先生がいました。ピナ先生の横にめずらしく誰もいないので、ひとりでずいずい接近し、ピナ先生、舞台、すばらしかったです!と話しかけてみました。ヤイノヤイノ、感想をまくしたてたところ、はにかむような笑顔で話を聞いてくれて、写真の中のような、困ったような控えめな表情で(本当に困っていたのかもしれませんが、、)「さあ、あなたも食べなさい、この焼きそば、美味しいわよ」と、わたしのお皿にホカホカの焼き麺とソーセージををこんもりと載せてくれました。

あの写真を見ると、ピナ先生に焼きそばをサーブされたことのある人間って、世界広しといえども、そう沢山はいないだろうなあ、とちょっと誇らしい気持ちになります。その場の主役でありながら、えらぶることなく、何者でもない若者にも優しかったあの人は、もういないのだな、と思うと、人生もタンツ・テアターみたいなものかもしれないですね。

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