見出し画像

私たちは断片的な世界を生きている。ーー『令和源氏オペレッタRe:』 “日常に忍ばせた非日常の劇場”の解説

ベリーダンサー・中村インディアとオンライン生配信の舞台公演をつくりました。
結果的に「オンライン生配信公演」という言い方をしていますが、その言葉よりももっと重層的な仕掛けをしているので、その解説をします。

コロナ禍で非対面でのやりとりが日常になってきて、でも完全なロックダウンでもない今だからこそ成り立つ仕掛けです。

このnoteでは仕組みの話にフォーカスしましたが、
たなかさん(前職:ぼくのりりっくのぼうよみ)の書き下ろし楽曲生歌とか、本職ダンサーのキレッキレのダンスとか、ラップ長台詞とか、パフォーマンスが最大の見どころです。
なんで皆さんやってくれるんだろうって私が疑問に思うくらい、すごい人たちが最高級のパフォーマンスを用意してます。本心は、シンプルにそれを見てすげーってなってほしい。
あと、お話もわかりやすく面白いです。きれいごとじゃない泥沼恋愛を明るく開き直っちゃう、割と笑えるスッキリ系のストーリーになりました。

【最初にまとめ】 傍観者だと思っていると、巻き込まれる構造

フィクションをフィクションだと思って眺めている時、それを眺める視者は物語の外側にいるのが普通です。
ゾンビでも地球滅亡でもドロドロの恋愛でも見ていられるのは、2時間経てば自分の日常に戻れる保証があるし、戻った生活にゾンビは侵食してこないという安全圏があるから。

本作では「スキャンダル」をテーマにしたストーリーの中に「ゴシップを追う記者」という【登場人物】を存在させることによって、安全圏にいるつもりになっている視者=傍観者達を、あちらの世界に突き落とします

画像1

「ゴシップを追う記者」はあなたです。

不思議な和装のこの人たちがどうやらゴシップの的らしい、という設定に乗っかって、昼のワイドショーで不倫ネタを見てる気分になってみてください。

ただ、それだけ。源氏物語は知らなくてOK。

主にこのtwitterアカウントで10/1〜毎日、光源氏周辺の人物たちの盗撮/盗聴/流出したスクショ/匂わせ投稿の噂など(=ミニコンテンツ)を漏洩しています。
ちなみに中村インディアは自分のTwitterアカウントを役に変えて24時間六条御息所の裏アカを演じ続けています。

ちょっとしたネタバレなのですが、物語のエピローグではこの「記者」というキャラクターの結末が描かれます。

あなたが光源氏達のゴシップを追っていた行動はどうなったのか。
ただ物語の傍観者のつもりで見ていた視者が、知らぬ間にフィクションのど真ん中に立たされるメタ的な構造

安全圏からフィクションの中に突き落とされ、どこに連れて行かれるか分からないミステリーツアーだと思って乗っかってみて欲しいのです。

なぜ、カメラマンが手持ちカメラで潜入する生配信公演なのか

超豪華なパフォーマーが揃う生配信公演は10/31。この配信自体も既存のオンライン演劇とは一線を画す演出/設計でお届けします。
(※11/22まで見逃し配信するので、10/31がピンポイントで用事ある人も参加できます)

画像2

生配信公演の役割はカメラというのぞき穴を通した覗き見です。(テスト撮影のイメージ)

本作の世界では10/1からずっと今この瞬間も、光源氏も六条御息所も葵の上も夕顔も、同じ時間をあなたと一緒に生きています。
10/31は、泥沼不倫関係にあるその人たちが、たまたまお祭りの日に同じ屋敷に鉢合わせることが分かっている修羅場っぽい日。
あなたはゴシップ記者としてその現場に行きたいけど、外出自粛で行けない。

生配信公演では、現実と同じ時間軸で進む葵祭の現場の編集されていない中継映像を画面越しに覗き見するという構成です。

画像3

ちなみに現場に入る3人の手持ちカメラマンにも性格の配役があり、カメラにも主観がある。(+屋敷に仕掛けられた監視カメラ、の全部で4カメラ)

つまり、徹底的にフィクションにおける「神の目」を排除しています。目に映るものはすべて「視者の目」

どうせ画面越しに起こる出来事だから全部演出なんでしょ?と思うなかれ。
生の舞台公演よりも、まじで何が映るか分かりません。多少の演出と計算、それを上回る身体的な偶発性でお届けします。放送事故。

体験のオチは短編映画で

10/1からチラチラ見せられてきた登場人物の裏情報と、生配信公演の盗み見は、いずれも「令和源氏オペレッタRe:」の断片的な側面の積み上げに過ぎません。

それによって立体感が増しそうとはいえ、「結局あの人たちなんだったの??」となりますよね。

なので、安心して腰を据えて見られる短編映画版作品も同時に制作しています。10/31の夜に視聴リンクでお届け。昼間に目撃したアレはなんだったんだ?へのアンサーは当日のうちに。

画像4

短編映画版で客観的に物語をなぞることで、知らぬ間に巻き込まれたパラレルワールドから安全圏のご自宅にお返しします。
おかえりなさい。

事前の断片裏情報+事件を目撃する生配信公演+短編映画版の3点セットで、ぐるっと物語が完結するのが全貌です。コンテンツもりもりで超豪華!

新しい生活様式は、没入させる装置としての「劇場」を失った。

元々6月にやろうとしていたホール公演の順延だけであれば、もっと簡単な方法はありました。
パフォーマンスを見せるだけならホールでお客さんを少数入れて公演の配信をすることもできた。お話をなぞるだけなら短編映画版だけでも良かった。

でも中村インディア含め私たちが作りたかったのは「コンテンツ」ではなく、フィクションの物語に呑み込まれる「あの感覚」そのものでした。

画像5

劇場というものを最初に発明した人はすごい。(古代ギリシャとかかな?)

チケットを買って分厚い扉をくぐれば、そこでどんなに突飛な非日常が起こっても「これは非日常に入り込んで良い時間である」と体が覚えている。まるでパブロフの犬。

コロナで劇場が閉ざされたということは、ただ場所としてのハコがなくなったにとどまらず、作品が劇場という環境の手助けを借りることができなくなったということでした。

どんなに「こういう環境で観覧するとより入り込めます」とお膳立てされたってここは自宅で、日常生活の延長。観劇中に上司からSlack来てるし。
(余談ですが私は4Dの映画館も苦手。私の気持ちのペースと違うタイミングで椅子が動いたりすると興醒めします)

ゆえに、この物語を成立させるには今の日常を受け入れるしか無いと考えました。

SNSやメディアを介した物語になったのはそういう意味での必然でした。コンテンツに合わせてUXを設計するのではなく、見る環境=ハードから発想したフィクションの世界です。

私たちはメディア越しに断片的な世界を生きている。

なぜ今やると面白いのか、もう一点だけ。

今この世でリアルに起きていること/モノが、フィクションじゃ無いと言いきれますか?

たとえば私の場合、仕事がフルリモートになり今年まだ一度もリアルに顔を合わせていない同僚もいます。ーー本当にその人はいる?
世の中の出来事も、ニュースで写真を見る、誰かが書いた記事を読む、編集された動画で追う。ーーそれは本当に事実?

この半年、私たちはずっと断片的な触れ合い・断片的なコミュニケーション・断片的な世界を生きてきました。

そして、晴れて私たちは慣れました。

2020年10月のこの世界では、たまにしかSNSを更新しない古い友人より、毎日twitterで恋話をしてくる六条御息所の方がよほどリアル。

日常に入り込む、非日常。
実在が危うい今だからこそ、本気のごっこ遊びが面白いと考えています。

多くの人の好奇の目に晒されることで、成立する物語に参加してみてください。

「令和源氏オペレッタRe:」の世界の話に戻ります。

このパラレルワールドでの光源氏はアジアで大人気のインフルエンサーで、そんな立場にも関わらず危険な恋をたくさんしている。

画像6

そして彼に沼った女たち。

画像7

彼女たちは世間や周囲からなんて思われるか気にしています。時にわざと匂わせたり、時に世間体を気にしたりして、危うい恋の綱渡りをしている。

画像8

つまり物語の傍観者であるあなたが、
人の恋路を面白がり、詮索し、勘繰り、なんなら勝手な噂をばら撒いたり、炎上させたり、抉らせたりすればするほど、
彼女達は追い詰められます。

いわゆる参加型はちょっと…て斜に構えていてもOK。私もそっちのタイプの性格です。キャンペーン的な参加型ではなく、ガチであなたに配役があるのがこの公演。一緒に悪ふざけして遊びませんか?

参加するにはこちら!

▼Peatixでチケット購入

▼公式サイトはこちら

いま!一緒に乗っかるのがきっと楽しい遊びなので、是非一緒に遊びましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?