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やりたいことなんてない。って言い切れるようになった

先週、プロジェクト参画しているGOZEN主催のオンラインイベントで起業家のハヤカワ五味さんのお話をうかがった。すごい濃い話だった。

GOZENのLINEオプチャメンバー限定でイベントアーカイブ見れます。見逃した方はこちらから→ https://onl.la/abr73vc

イベント後にトークテーマである「好きなことで生きていく」についてスタッフ仲間の方と話していて。「やりたいことがない。と言ってもいい」ということを思ったのでメモしておく。

日々に流されないための、欲の計画

かくいうても私は“欲”は多い方で、やりたいこと・行きたい場所・食べたいもの・できるようになりたいことは尽きない。
社会人になってから毎年続けている習慣で、年始にその年のToDoを週単位までスケジューリングするというものがある。フェスに行きたい、資格をとりたい、あそこのレストラン行きたい、いくら貯金したい、仕事ではこういうことしたい、など粒度ばらばらな思いつきをすべて書き出す。だいたい40個くらいは出てくる。
その中で例えば資格試験は日程が決まっているし旅行も行くならだいたいこの時期かなと想定できるので、まずはそういうものから月ごとにプロットしていく。何月に旅行休みを取るためには、何月くらいから仕事の調整しなきゃいけないよなー等が連動して決まってくる。1ヶ月は4週しか無いから、最終週はなんだかんだ忙しいよね、とか考えて月中の週にイベントをプロットしていく。そうするとあっという間に52週のToDoが埋まっていく。
言うなれば「自分事業計画」的なもので、結局年末に振り返ると1/3もやりきれていないんだけど、自分の欲に向かっていっている感覚は日々に流されれないために結構大事だなと思っている。

でもそれらの欲は、『それを成し遂げるまで死んでも死にきれない』というほどの「(今世で)やりたいこと」ではない。

やりたいことハラスメント

私は“ゆとり”どんぴしゃで個性や自主性を重んじられた結果、「自分なりのやりたいこと」が言語化できていないとむしろ落ちこぼれ的な空気の世代だ。
なので就活然り、日常的に“やりたいこと”はいつも言語化できていたし、それを掲げてそれに向かって努力しているのが良しとされてきた。意識高い系が揶揄されないのは良いことだが、常に「やりたいことに向かって努力してます」って姿勢を表明し続けなければいけないのもなかなか呪い感がある。

ここ数年、「頑張ってる方が売れる」「頑張ってるものを見たい」っていう時代が続いてるんですよね。
Rachel


「夢を持て」と大人が説教することをドリーム・ハラスメントと言うらしいけど、それとほぼ同義で「やりたいこと」や「好きなこと」に常に向かっていないと何かが足りないと見做されることも、まあまあ失礼なことだと思うようになった。

心地よく過ごすことに全振りしたい

宇多田ヒカルの「ヒカルパイセンに聞け!」の第1回の中でとても印象的なAnswerがある。

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https://sp.universal-music.co.jp/utadahikaru/paisen/

まだ手に入れていない未来の「やりたいこと」に力点を置くと、どうしても現在今この瞬間はそれに対しての手段or過程になる。でも手段を講じているうちに時間は流れてその積み重ねが結果的に人生になる。常に飢餓感を燃料に前進するしかなくなってしまう。それは精神&体力的にサステナブルではない。

であれば、私は日々を心地よく過ごすことに全振りしたい。
全振りというからには徹底的に「心地よく」をコンセプトの真ん中にする。そんなようなことを考えて出てきたのが「Project & Process Management」という姿勢だった。心地よさを突き詰めるためのものとして、ちゃんとしたPMとして“在りたい”と思った。

そこらへんの考えを整理したら、『何かを(たとえば睡眠時間や健康や人付き合いや生活を)犠牲にして、今この瞬間めちゃくちゃ苦しくても見たい景色・成し遂げたい圧倒的な「やりたいこと」は、私には無い』と言い切れるようになった。

この星野源のエッセイも、「やりたいこと」というハレの日に向けてずっと気張っていた20代の頃の自分を緩めてくれた一冊。

大切なのは、やりたくないことをやらないこと

「やりたいことなどない」と放り出した時に一番大切なのは、「やりたくないことをやらない」、それも徹底的に。ということだと考えている。

まず「やりたくない」と気付くこと。人間ちょっとの我慢ならしてしまった方が楽だから、多少のやりたくないことは見ないふりをする。「やりたくない」かどうかを見極めるにはひとつひとつについてどう思うかを自分に問い、自分の中での尺度を以て決める必要がある。一人で決められない時は信頼できる人にも相談する。
このステップはめんどくさいし抜けがちだから、ちょっと気を抜くとうっかりやりたくないことを受け入れてしまう…。

ちなみに、一度も経験の無いことについて想像でやりたくないかどうかを決めるのは難しい。私の場合は、それなりに「やりたい/やりたくないとか考えずにとりあえずやってみた」これまでがあるから、判断できるのだと思う。

そして「やりたくない」と気づいたらそれを避けるために全力を尽くす。
やりたくないな〜と思いながら引き受けてしまったものは、クオリティもモチベーションも上がらず楽しめず、先方にもそんなことは伝わるので無為な時間になりがちだから。
この時になるべく周囲に迷惑をかけないで、いかにしなやかに(つまり心地よく)やりたくないことから逃げ続けるか。

サボり方とか 甘え方とか 逃げ方とか 言い訳のし方とか
嫌われ方や 慕われ方や 叱り方とか 綺麗なぶつかり方
もっと覚えたいことが山のようにある…
のびしろ

これは突き詰めれば「人生のすべてがやってて苦じゃないこと」の状態に持っていけるので妙案だと思っているのだけど、結構テクニックがいるので修行中。タイミング、断り方、他の人への頼り方、つなげ方、つながり方など。

なので今私が「やりたいことは?」と聞かれたら「いっぱいある!」と言って欲の話をするか、「やりたいことはない、どう在りたいかのが大事」と答えるか、の2択。

考えをまとめるために半年もぐってた結果、最近インプットもアウトプットも立て込んでいて。
むやみに活動量を増やすのではなく、「それは今を心地よくしているか?」「自分の欲に向き合ってるか?」「やりたくないことに妥協してないか?」を丁寧に整理していきたい。そうすれば自ずと良い時間が積み上がっているのではないかな、という仮説を実証したいと思っている。

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