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夏の朝

一昨日の夜、玄関先の宅配ボックスに、メスのクワガタが二匹とまっていた。

「クワガタがいるー」と娘たちに報告すると、長女(高三)が思いのほか喜んで、捕獲。

ティッシュの空き箱とクリアファイルを切って繋げて、夜な夜な手作りの虫かごを作成。落ち葉や木切れを拾ってきて、台所にあったバナナを一欠片入れて、クワガタを住まわせて愛でている。17歳。


と思ったら今朝4時半。オスも欲しいとのことで、近所の森に探索についてきて欲しいと言われた。

私は、早起きできた朝は大体ロードバイクに乗りに行きたいのだけど、こんなお誘いを高校三年生女子から受けるなんてこと、今後の人生でなかなかなさそうなので、同行することにした。

蝉の大合唱でちょっと耳がおかしくなりそうなほどの轟音に包まれた森に入ると、誘った本人は夏の森の音の分厚さに恐れ慄き、飛び交う虫たちに悲鳴を上げまくっていた。蜂、蚊、ムカデ、蝉、カナブン、ミミズ、ダンゴムシ、名前のわからない羽虫たち、、、、なんでも居る。なんでも居まくる。

ほんの数年前まで、東南アジアを旅行した際、見たことのない模様の巨大Gが宿に出没して、全く手が出せず硬直する私に対して、長女は平気な顔で捕獲して外に追い出していたというのに。

ていうかそもそも、クワガタ捕りたいとか言って、この真夏の虫だらけの森に行こうと誘ってきたのはこの人だというのに。
キャア、怖い、もうやだ、とかって。

奇妙なギャップ、矛盾に、愉快な気持ちになりながら長女の挙動を観察していた。


だけどついにクヌギの木の下に雄のクワガタと立派なカブトムシ(残念ながら両方とも仏様になられた後でしたが)を見つけた時には、喜びでキャアキャア言っていた。

私も例に漏れず、テンションが上がってしまった。小学生が甲虫に夢中になるときのあの感じを、しばし楽しんだ。



 ***


ここ最近は、近所のなだらかな坂だらけの道を、早朝もしくは夕方にロードバイクで走ることが多い。大体いつも15Kmくらい。
未知の道を見つけてつい遠回り、うっかり迷子などあると20〜30Kmくらい。

走りたくて仕方なくなるのは、走った後に、全身から噴き出す滝汗の流れに伴うかのように、憑き物が落ちたみたいに心身が軽くなるのを知っているからだ。


それに、特に早朝はいい。

まだ誰も起きていない、人の全くいない住宅街の道路の真ん中を、他の往来を気にせず走る。空気は新しく澄んでいる。真夏なのに涼しい。

夜の闇の余韻を残しながらも、だんだんと明るんでいく空色。

配色が、強い緋色へと少しずつ傾いていく、地平線近くの雲。

太陽が出た途端に、ぶわんと大きな風が一つ吹くような気が毎回するんだけど、あれは気のせいなのかな。


早く起きた分、夜は早く眠気がやってくる。

布団に入る前には瞼が落ちてしまっている。

考え事をする余地もないくらい、真っ逆さまに眠りに落ちる。


この巡りのよさが、必然的に起きてしまうのが、夏の好きなところだ。


夏は喫茶店を、早朝から開きたくなるのもわかってほしい。

この気持ちよさを自分が体感したいし、お客さんたちとも一緒に楽しみたい。


7/31  4:45am
8/1  4:50am


  ***


最後に余談だけど

感動で心がひどく揺さぶられたり
あまりの解放感に心身が震えるように喜ぶ・・

そういう体験をしたとき、

「この体験をどうやって記録にしたらいいんだろう」
「なんとかして残したい」

そんな願望が生まれる。

だけど、形に表した途端に異なるものに変換されてしまうのは避け難く。
途方に暮れてしまう。


「そんなに慌てなくても、自分の中に、細胞に。
この体験は、学びは、ちゃんと刻まれたから大丈夫だよ。」

そんな言葉を、自分にかけてやって、納得をする。


  ***


たくさんの出来事が、トピックが、毎日の中に詰まっている。

楽しいことが多い。嫌なことは時々ある。

でも嫌なことの中にも、結局学びや、軌道修正のヒントや、「自分の本音に気づくきっかけ」なんかしか無くて、結果「必要なもの」しか日々の中には詰まっていないなと感じる。


そうやって、あっという間に8月になった。

6月が終わる時に、もう2022年が半分終わるなんて信じられない、って思っていたけど。この1ヶ月の飛び去り方にも驚く。

この1ヶ月を振り返ってみても、やっていることも、人間関係も、自分や、自分の周りの大事な人たちに起きている変化や成長も。

常に動き続けているなと。感心する。


何歳になっても、そして多分死ぬまでずっと、微細な変化は常に起き続けていて、そしてそれに常に敏感であろうとすることは、人生の色味を豊かにしてくれる気がしている。というか、敏感である方が楽しい。

何歳になっても、少しずつでも、変化し続けられるんだな。

そう思うと、これからも楽しみだ。


そしていつか死ぬ時には、どんな自分になっているのか。

どんな気持ちで振り返るのかな。

こんな日々が続いていくのなら、きっと感謝の気持ちでいっぱいで、笑いながら目をつむるんだろうな。


なんて、「呑気かな私」とか思いながらここまで綴っていたら、ちょうど今、たった今、11時11分、毎日の祈りの音楽がiPhoneから鳴った。


「この感覚で合ってるよ」ってことにしておこう。

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