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自立って、なんでも自分でできるようになることではない

こんにちは。お久しぶりです。千明軍師です。

久しぶりなのに唐突ですが、『自立』と聞いてどういうことをイメージしますか?

親元を離れて自分で稼いだお金で生活すること?

家のことが一通り自分でできるようになること?

親に頼る生活から抜け出すイメージが強いですね。
もちろんそれらも『自立』の一面ではあるけれど、自立の本質ってそこじゃなかったりします。

自立ってそもそもなんだろう

いきなり結論から言うと、自立とは

頼る先を増やすこと

です。

人に頼らず生きていくのが自立って思いこみがちですね。
私も数年前までそう思っていました。

けれど、よくよく考えてみると、誰にも頼らずに生きていける人なんて、この社会の中にはいないのです。
(一人山奥で自給自足で暮らしている人ぐらいじゃないかなぁ)

生まれてすぐは、母親に頼りっぱなしです。
幼少期も大抵は、何かあったら真っ先に「おかあさん」です。
そこから、他の家族に頼ることを覚え、幼稚園や保育園の先生に頼ることを知り、友達に助けてもらうことを学び、他人の役に立つことでお金を得るようになる。

そう。自立って、お母さん、あるいは特定の一人以外の人に頼れるようになっていくことなのです。

なんでも自分でできるようにならなくていいの?

これもまた結論から言うけども。
ならなくていい、というより、無理でしょ。

どんな人にも得手不得手はあるんだし。
なんでもかんでも自分でできるなら、この世のありとあらゆる仕事が成立しないし。
ヒトは、社会を形成して助け合って生きていくのは古代から変わっていません。

人に頼らず自分でやろうとするって、裏を返せば自分はなんでもできると思っているということ。

それって、めちゃくちゃ傲慢じゃない?

若かりし頃の「俺ってなんでもできる!」ってなっちゃう無敵感(あるいは若気の至り)と大して変わらないよ。というか同じだよ。成長isどこ。

勇気を出して、まずは身近な信頼できる人に、自分の苦手なことをお願いできるか聞いてみよう。

お母さんの代わりを探していませんか?

さっきのケースは、母親から「将来困らないように」と家事やら勉強やら、あらゆることを子どもの頃に仕込まれた人にありがちなケース。

続いては、ある日突然お母さんに頼れなくなってしまった人のケース。

死別だったり、事情があって別居だったり、あとは単純に結婚して実家を出たとか。
なんらかの形である日突然、これまで全面的に頼ってきたお母さんに頼れなくなったとしたら。

自立の仕方なんて知らないから、お母さんの代わりを探します。
子どものうちはそれでいいでしょう。
そこから少しずつまた世界を広げていけばいいのだから。

厄介なのは、大人になってある日突然母親に頼れなくなった場合。
誰か一人に一方的に頼って守ってもらう生き方しか知らなかったら。
母親以外の人にも、母親の役割を求めることになります。
パートナーに。友人に。ときにはそれが、人気ブロガーや『教祖様』だったりもしますね。

けれど、相手は母親ではありませんから。一方的にあなたを守り、助け、導く義理なんてどこにもありません。当たり前です。

こんなとき、どうすればいいのか。
これしかありません。
色んな人に頼る練習をイチからやっていく。

多くの人が、子どもの頃から少しずつやっていった訓練です。
これを、何歳からでもいいから、やるのです。
遅すぎるなんてことはありません。

失敗は怖い。
転んだら痛い。

当たり前です。

けれど、大丈夫なのです。

なぜなら、遠く離れた場所で、近所で、見えない世界で、どこかしらからお母さんはあなたのことを想っているから。

大丈夫、世界は優しい

自分で抱え込みがちな人も、誰かに依存する癖が抜けない人も、大丈夫。

あなたが手を伸ばせば、世界は手を伸ばしてくれる。

そして、あなたは、あなたにできることを。

そうやってヒトの社会は回っているのです。

大丈夫、世界は優しい。

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