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私が幸せそうに見える人へ


私は今ささやかながらも美術作家として活動をしていて、いわゆる会社勤めではないこともあり、夢を叶え好きな事をしてキラキラと生きてるように見られていると感じることがある。

在廊時には着物を着て、にこやかで優雅にしているというビジュアルもそんなイメージを増長させてるのかもしれない。

けれどもし、あなたがそのように他人と自分とを比べてしまうことがよくあり、自分を過小評価してしまうことがあるのだとしたら、それはとてももったいない事だ。

私がここで「いえいえ実は私もそんなに恵まれてるわけじゃないんですよ」とあなたと不幸競争したところで何の生産性もないので、せっかくだから他人が輝いて見え自分と比べてしまいがちな人が見誤るポイントと、私がキラキラ人に見える理由についてを分析して語ろうと思う。

おそらく他人が輝いて見える人は、自分と比べて恵まれているから幸せそうだと判断しているのだと思う。

もちろんSNSなんてその人のほんの一部を切り取ったものだから比べても仕方ないと頭ではわかっているはずだ。

けれど比較することをやめるのは簡単ではなく、他人の恵まれているところを見つける数だけ自分に足りないところを数えて、自分が幸せを感じられないのはその恵みを持ち合わせていないからだと誤認してしまう。

そう、誤認なのだ。

確かに、恵まれていることは素晴らしいことだし、実際キラキラしてる人の中には「自分は人より恵まれているから幸せだ」と信じて疑わない人もいるだろう。

でも私は、恵まれていることと幸せなことは似ているようで全然違うことを知っている。

なぜそのように思い至ったのか、おそらくは生い立ちによるものだと思う。

夢を叶えて財を成し若く容姿にも恵まれた両親の元で育ち、私自身も物やお金、好きな事を出来ることに恵まれて育った方だと思う。

けれど、そのように人が羨む成功やステイタスを手にし中流の上くらいには恵まれているにもかかわらず、ちっとも幸せな家庭を築けなかった彼らをみて、夢を叶えることや名声を得ることやお金があることに対して、すごいことだとわかってはいたし、ちょっと自慢に思ったりもしたけど、自分が目指すものとしては全く執着が持てなかった。

人は何かを手に入れても、恵まれていても幸せだとは限らない。

恵まれている事をいくら数え上げても幸せにはなれないことをわりと小さい頃から知っていて、恵まれていることによって幸せがなくなるという恐れすら抱いていた時期もあった。

でも結果的にそのおかげで、幸せとはなにかという問いへの深い探究心を持ち、長い時間をかけてある程度の答えを得ることができたのかもしれないとは思う。

学生時代に進む道を決め実現させた父の背中を見ていても、私はこれまで「好きなことを仕事にしたい」と思うほどの事を特に持つことはできず、子どもの頃から今まで仕事についての夢を抱いたという意識もない。

なので夢を叶えたわけでもないし、夢を叶えた喜びを味わったこともない。

私には大きな夢を広げてそこに向かう情熱はついぞ見つかることはなかった。

ごく地味に、嫌いではない目の前のやるべき事の中で、自分なりの小さな目標をゲームを攻略するように達成したりしながら面白さを自分で作り、時にちょっと興味があるやってみたい事が転がってきたのに乗っかったりしながら結果的にここまで来ただけなのだ。

「好きなことをしているから寝食忘れて没頭できるんでしょうね」と、羨望を込めてポジティブな意味で言われることもあるけれど、それはぜんぜん違う。

今も昔も目の前のやるべき事を一生懸命にやってきたというのに、好きや嫌いで熱量が変わるかのような認識を持たれるのは心外だったりする。

そんな情熱的に夢を追いかけているわけでもない私が、まるでキラキラ人のように見えるその理由について、大きな要因は満足感にあると思っている。

私は自己実現に対しての意欲は人並みにあるけれど、それは見果てぬ想いを叶えることではなく、自分を知りその能力を活かすことだと考えている。

美術作家に限らず、前職も、今も兼業している在宅業も、一貫して自分の力を活かせていると思えている。

好きなことを仕事にしていることよりも、身の丈に合い自分にできることができていることにとても満足しているのだ。

もちろんその満足が可能性を妨げることがないかも同時に見張っている。

私は日頃からおもしろい(興味深い)かを重視していて、それは先入観まみれの好き・嫌いのような感覚的なものを超えて、自分で作ることができる。

夢を叶えたい!というような見果てぬものを追いかけるより、与えられた環境の中で自分なりに小さな目標を立ててそれを攻略していくことの面白さの方が夢中になれる。


お金持ちになったわけでも、有名になったわけでも、夢を叶えたわけでもないけれど、自分にできる事をさせてもらえる環境があり、それによって助かる人や喜んでくれる人が少なからずいて、家には愛鳥ここちゃんがいて…

多くの人がすでに持つものに過ぎない特別でもない「今ここにある事実」の方が、夢を叶えることや好きを仕事にすることよりも私にとっては大切な事に思える。

とてもささやかだけど、もっともっとと満たされない気持ちを抱えながら生きるよりもなかなかに幸せな事じゃないだろうか。

私を見て幸せそうに見えるのであるなら、他に依らない自分の心が作った満足感が私を幸せそうに見せているのだと思う。

夢を持つことはステキなことで大切だと言われ、それを疑う人はあまりいない。

私だって夢を持つ情熱人をすごいなぁと思うし、憧れのような気持ちを抱く事ももちろんある。

周りには行動力があり大きな事に向かう人もいて、あんな風になれたらかっこいいなあとしょっちゅう思っている。

だけど、比べて自分はダメだと思ったりすることにとどまることはしない。

私を含め大半の夢などない人の居場所もちゃんとあるのだから。

まずは、あるという幻想も、ないという幻想も自分を幸せにしないことを知ること。

遠くではなく、今この自分自身の中に自分を満たすものはきっと揃っている。

結局は自分から目を逸らすことなく見つめることで、誰もが自分を満たし幸せに生きることができるのではないだろうか。

どんなに難しく、時間がかかったとしても。


ありがとうございます 嬉しいでーす ╰(*´︶`*)╯♡