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千明の神様日記 〜日本の死と、バリの死の違い〜


※バイク事故現場を目撃した時の
 エピソードを綴っています。
 読みたくない方は
 そっと閉じてください📗
 
前回のお話はこちら💁‍♀️



 
***
 
 
先日、デワアユとの
シャーマン修行を終えて
バリの外側の
海沿いを一周する道路を使い
ミンピリゾートに
向かっていた時のことだ。
 
道にトラックと
警察の車が
数台停まっていた。
 
ドライバー兼通訳をしてくれる
マデさんが首を傾げる。
 
 
「あれ?事故かな?
 でも、特になにもないですねぇ」
 
 
そう言いながら通り過ぎた瞬間
マデさんが言った。
 
 
「あっ、やばい。
 死んでる」
 
 
ハッとして対向車線を見ると
倒れたバイクと
俯きに亡くなっている男性がいた。
 
 
それを目撃した瞬間
 
 
「うわぁ…!」
 
 
と思ったのだけれど
同時に、それまで体験したことのない
変な感覚になった。
 
その遺体の感じが
日本で目撃するそれと、
全く違ったのだ。
 
 
日本でも
電車への飛び込み自殺だったり
交通事故だったり
病気で亡くなる瞬間だったり
人が命を終える瞬間は
それなりに、目にしてきた。
 
 
でも…なんていうのだろう。
全く違った。
 
 
同じ『死』のはずなのに。
色とか、質度とか
醸し出すオーラが
ぜんっぜん違ったんだよね。
わたしの見解の話ではない領域。
 
 
そっと、手を合わせる。
 
 
そして
自然と湧いてきた気持ちは
 
 
「わたしも、同じだからなぁ」
 
 
というものだった。
今回亡くなったのは
その方だったのだけれど
今生きているわたしも、その人も
変わらないからなぁ。という気持ち。
 
いつ死ぬかわからない中で
生きるか、死ぬか。
ただそれだけだから
同じフィールドにいるだけだなぁ
 
…うまく言葉にはできないけれど、
そんなかんじ。
 
 

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***
 
 
実は、マデさんも
お母様を、小さい頃に
バイク事故で亡くされている。
 
マデさんとお父様とお母様で
3人乗りをしていた時に
車がぶつかってきて
お母様だけ、亡くなったそうだ。
 
その話を初めて聞いた時
 
「そうだったんだね…」
 
と、当時のことを想像して
胸がキュッと、辛くなった。
が、マデさんは
 
「そうですね
 でも、全然大丈夫です」
 
と言っていた。
今回バイク事故を目撃して
マデさんも、お母様のことを思い出したりして
お辛い気持ちになっていないだろうか…?と
思っていたのだけれど
オーラは変わらなかった。
 
 
…過去のことだから
もう、すっきりされているのかな…?
 
 
 
***
 
 
 
いま滞在しているホームステイでは
お出かけする際
スタッフのバリ人女性(28歳)に
バイク送迎をお願いしている。
 
先日、夜道を帰ってきる時
思いっきりトラックが
わたしたちのいる対向車線に
はみだしてきた。
 
 
「うわああああああ」
 
 
と、思わず2人で叫ぶ。
ギリギリ当たらずに
通り過ぎていくトラック。
 
 
「び、びっくりしたね
 危ないね…
 こわいね」
 
 
2人で胸を撫でおろす。
 
 
 
その後、ふっと
旦那さんの話になった。
 
 
 
「ねぇ、何歳の時に結婚したの?」
 
「んーと、18歳。
 それで、すぐに子ども
 2人産んだね」
 
「すごいね!!
 旦那さんは、何の仕事をしてるの?」
 
「旦那さんは、もういない」
 
「え?」
 
「旦那さん、もう死んだ」
 
「うそ…。
 なんで?」
 
「わたし24歳のとき
 バイク事故で死んだ。
 お酒飲んでたから」
 
いっつも優しくしっかりしている
スタッフさんのお話に
衝撃を受ける。
 
18歳で結婚して
2人の子どもを育てる
シングルマザーって
なんて大変なんだ…
 
「そっかぁ…」
 
言葉を無くす。
聴いてしまってごめんなさい、
しかも事故の原因になった
バイクという乗り物に
乗せてもらっている自分に
なんともいえない
気持ちが湧いてくる。
 
 
「だいじょうぶよ」
 
サラッと言う、スタッフさん。
 
「えっ、でも
 いろいろ大変でしょう?」
 
「う〜ん、でも全然だいじょうぶよ」
 
 
その時の彼女の声のオーラからは
悲しみが見えなかった。
あまりにもノーマルモードだったので
 
えっ?!?!
普通そんな体験をしていたら
悲しみとともに
生きることになるのでは…。
日本だったら
相当に辛いエピソードだよ…。
 
なのに
なんなんだろう?
この雰囲気と、声のトーンは…。
 
マデさんのあの時の
 
「大丈夫です」
 
と、同じだ…。
 
 
なんなんだろう?
この島の『死』って
何かが違う…。
 

 
 
***
 
 
 
その日からの謎が
昨日のガルンガンのセレモニーと
お話しで、すこし解けた。
 
 
バリの人は
動物を自分で捌いたりするし
死に日常的に触れている。
遺体や、死を隠さない。
(まぁ、これは他の国でも
 一緒かもだけど)
 
小さい頃から
日常的に『死』に触れているし
切り離されていないので
ごく、自然なサイクルの話。
 
 
その上
 
「誰か死んでお葬式がある時は
 誘ってあげるね〜」
 
と言われたりするのだ。😂
 
「えっ?!?!
 そんな、お葬式とか
 知らない人が行っちゃ
 ダメなんじゃないの?!」
 
と言っても
 
「いや、全然大丈夫です。 
 写真もOK。
 お葬式は人生で一番大きなセレモニー
 生まれ変わるっていうことだから
 みんなで盛大に送り出すんです」
 
 
神様に祈り
輪廻転生を信じ
自分たちの中で
生と死、死後の世界のサイクルを
知っているので
死を怖がっていないように見える。
忌み嫌っては、いない。
 
死は、訪れた時に
迎え入れて
送り出すものなのだ。
 
生も一緒。
訪れた時に
迎え入れて
終わる時は、
送り出している。
 

 
人が生まれても死んでも
ある意味、同じような感じに
見えるのだ。
(接し方のオーラや粒子は
 マジで近いものがある。
 というか、同じ?)
 
 
受け入れ力が高いと言いますか…
すっごい淡々としてるんだよね。
 
 
お葬式の時も
そんなに泣いている人は
いないらしい。
むしろ、涙を流すと
 
「泣いちゃダメだよ〜」
 
と言われたりもするらしい。
 
 
 
***
 
 
これまで30ヶ国ほどを
バックパックで旅し
現地の人と仲良くなって
死生観のお話を伺ったり
お葬式や、ご遺体も
それなりに見て来たけれど
バリの感じは、本当に独特。
 
生きてても、死んでても
そんなに変わらないかもしれない。
というくらいに、フラット。
 
そして、
生まれ変わりの速度が
めっちゃはやい気がする。
 
仕組みをわかっているって
強いんだなぁ…。
スンスン逝って
スンスン降りてくるって感じ。
 
バリに生まれた人は
バリにばっかり生まれ変わる、という話を
聴いていたのだけれど
本当にその通りなんだろうなぁ。
 
だから
この文化が続いているんだろうね。
 
 
あの世とこの世の境界線が
神への祈りと
共通認識を通して
カラフルでスムーズな
グラデーションで、存在している。
その途中にもちろん
門みたいなものも準備されているけど
ちゃーんと、
門番さんにも
こちら側の担当の方にも
あちら側の担当の方にも
全ての方に
皆で、お供物をしている。
その効果で
見えない存在たちも
力を強く持っていて
仕事がはやいんやろねぇ😂
 
 
***
 
 
誰かやペットが亡くなって
悲しみにくれ
長く悲劇状態になっている人も
それをバネに、強く強くなっている人も
いまのところ目撃していない。
 
あっさり。
 
日本は
わびさび文化で風流的だよね。
だからこそ
たくさんの表現があるんだなぁ。
 
 
 
これまた長くなりましたが
とても印象的な
出来事たちでした。
 
 
これからまだまだ
生と死に関して
読み解けるエピソード
たくさん起こっていきそうだなぁ。

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