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あの世からの伝言は水に乗ってやってくる①

昨夜はいい夢を見て明け方に目覚めた。懐かしかったし楽しかった。
夢に出てきたのは、私にとってアフリカの恩人ともいえる人だ。

彼は若い頃にパリで購入した車でサハラ砂漠を縦断し、そこからさらにスーダンなど陸路で抜けて、ケニアまでたどり着き、ナイロビで会社をおこした人だ。ヨーロッパで買ったのがどんなにオンボロ車でも、それを運転してサハラ砂漠を越えて西アフリカにたどり着いたら、ちゃんと儲かるだけの利益を乗せて売れたんだと、よく豪語していた。もともとは、東北の山のほうの出身で、演歌歌手を夢見て18歳で上京。東京で下積みをするうちに高度経済成長期にさしかかり、東京オリンピックがやってきて、あちこちが建設ラッシュになったから、土方の仕事をして荒稼ぎしていたという。

「仕事ならいくらでもあったんだ。面白いほどに稼げたね」
と彼は言った。稼いだ金は全部、赤坂でパーっと遊んで飲んでしまった。
そんなことをしばらくしていたら、フッと虚しくなり、そんなタイミングで「アフリカに行かないか?」と誘われた。よくわからないがいっちょアフリカに行ってみるか、と、軽い気持ちでやってきたのがまさか、こんなに何十年もいることになる始まりだったとは、想像もしなかったね。と、彼はよく昔の豪快な話を面白おかしく聞かせてくれた。

昨夜の夢では、その人から久しぶりの電話がかかってきた。
私はちょうど、山の中の沢に沿って歩いているところで電話に出た。

「久しぶりだね~、元気?その後どうしてるの?」
「ぼちぼちやってますよー。またお仕事こっちにも回してくださいね」

などと、いつものようにテンポ良い会話をして、ひとしきりしゃべって笑って、電話を切った。その直後に、目が覚めた。それは、夢だった。

時計を見ると、午前4時半だった。
楽しかった会話の余韻に浸りながら、しばらくぼーっとしながら考える。

そして、気が付いた。

「あれ、彼は死んだのではなかったのだったっけ。。。?」

そうだった。
その人は、コロナ禍が始まった最初の年に、突然の病気で旅立ったのだった。もう3年にもなる。

私のアフリカの恩人。年齢は20歳以上年上の、アフリカ旅の大先輩だった。私は20代のはじめ、世界中を放浪の旅をしていて、その流れでアフリカにたどり着き、アフリカ大陸もかなりボロボロになりながらの陸路旅をしていた。いわゆる当時よく言われた「貧乏旅行者」だった。
その旅の最後に、ひょんなことからその人がナイロビで経営していた旅行会社でバイトするようになり、しばらくして就職し、私のケニア生活が本格的に始まった。もう36年も前の話だ。

私はその旅行会社で9年間勤め、ケニア社会の表から裏まで、そして仕事のノウハウもすべて学びつくし、会社をやめてフリーランスになった。
その人の多大な恩に背いて会社を退職する私に、その人が言った言葉は、

「千晶ちゃんなら出来るよ。なんだってできる」
だった。

それからも持ちつ持たれつで、様々な仕事を共にしてきた。突然の死の数日前も、仕事の話を電話で話していた。

私のアフリカ生活も、キャリアも活動のすべても、この人に出会わなければあり得なかったと思う。どれほど自由に働かせてもらい、必要なことは何でも教えてもらい、何か問題が起きたときには完全なるサポートをしてきてくれたことか。私は、この人に育ててもらったからこそ、今がある。

これまでの感謝も伝える機会を逸したまま、あまりにも突然、逝ってしまった。訃報を聞いたあとで私は、それから一か月間は毎日泣いて暮らしていた。もう3年も経つ今も、ことあるごとに思い出しては、本当に惜しい人を失ったと喪失感を抱いている。
今日はあらためて、感謝の気持ちでいっぱいの朝となった。

ところで、以前にも書いたように私は21歳のときに恋人を突然死で亡くしている。

皆さんは、幽霊でもいいから出てきて欲しい、夢でもいいから会いたいと腹の底から願ったことはあるだろうか。
私にはある。
しかし、縁が深かった人ほど、夢にすら出てきてくれない。
亡くなった人には、呼びかけても呼びかけても、返事は来ない。
これまでの37年間の間、実際に夢に出てきたのは数回しかないのだが、その一つ一つの夢がとても印象的で妙にリアルで、私はそのすべてを覚えているくらいだ。

ところが、大切な人が亡くなって数年たったころから、私はそれらの夢に、ある一つの共通点があることに気が付いた。
それは、私の場合、故人が夢に出てきたり何らかの伝言を伝えるとき、必ずそこには水が絡んでいるシーンが出てくることだった。

私自身がプールの中にいたり、川の中にいたり、お風呂だったりした。しかも、私は水の中にいるのだけどそこに突然、電話がかかってきて、水の中にいる状態でその電話に出る、という場面もあった。今回も、山の中の沢歩きをしているときの電話だった。いずれも、夢の中では死者からの伝言だとはその場では気が付かないことも共通している。

これから、いくつかそんな夢を紹介してみよう。

私の恋人は突然死だったから、お別れも言えず、何の予兆もなく、さっきまで生きていたのに次の瞬間は死んでいる、という状態になった。まだ21歳だった私は、納得ができるわけもなく非常に苦しんだ。
その瞬間には一体何が起きたのだろうか、何を考え何を経験したのか。彼はどこに行ったのか。その日から私の人生も見える風景も人々との関係も、目に前に広がっている日常も、まったく違う世界になってしまったように感じた。

だけど私は後追い自殺を考えることだけは絶対にしなかった。
そもそも、彼自身がもっともっと生きたかったはずだと思っていたからだった。

亡くなった日のちょうど1ヶ月後には、一緒に旅に出る約束をしていた中国行きの船の予約が2人分されていた。私はその船の予約をキャンセルはせず、彼が生きられなかった未来を、どこまででも行けるだけ生きてやろう、と思った。

そうやって一人で旅に出て、アフリカに出会い、現在に至る。

彼が亡くなった直後に大阪の彼の実家に駆け付け、その日から、その家の離れだった彼の部屋に泊まり、通夜と葬式を行い、難病だった彼の母親に変わって部屋の片づけをして、私自身も当時住んでいた東京のボロアパートの部屋の荷物を片付けた。

旅立つ準備をしている一か月間の間、夢に出てきたのは1回だけだった。しかもその夢は、本人の姿はなく、ある方法で私に伝言が届くというものだった。

私は、かなり激しい濁流の流れている川のほとりに立っていた。
川幅はかなり広くて、水量も多く、川の流れはとても激しく、向こう岸に渡れるような状態ではなかった。その川のほとりで一人、ぼーっとたたずんでいるときに、その流れにのって瓶がひとつ、流れ着いた。

瓶が、こちら側の岸辺の岩場に引っかかっている。
それを見つけて私は手に取った。

瓶の中には紙が入っている。その紙を取り出してみると、中には私宛の短い手紙が入っていた。
そこに書いてあったのは、こういう文章だ。

「突然のことで悲しませてごめん。でも、僕は死んではいないから。」

まぎれもなく彼の筆跡だった。そして彼らしい、どこかユーモラスな口調まで浮かんでくるような文章だった。

ほーらやっぱり。おかしいと思ったんだよね!死んだわけないじゃんね。やっぱり生きていたんだ。やっぱりねー。
と思ったところで、目が覚めた。

目が覚めてからもしばらくは、
やっぱりそうだと思ったんだよね、やっぱり死んでなかったんだ。よかったー。と思っていた。

そう思いながら、だんだん、本当にだんだんと、現実が頭の中に漂っていった。正気に戻っていく、というか。当然、死んでいないわけはなかった。
当然、死んでしまっていたのが現実だった。

だけど妙にリアルな印象が自分の中に残った。

僕は死んではいないから。

そのメッセージが水に乗って流れてくる光景が、とてもリアルに脳裏に焼き付いた。その夢の光景は今でもありありと思い出すことができる。

それから始まる私の旅と人生の展開は、奇想天外で想像をはるかに超えるものとなった。
私の中に色濃く突き付けられたテーマは、
生きるとはどういうことなのか。死ぬとはどういうことなのか。
生きているのと死んでいるのには一体どういう違いがあるのか。

そして、人間とはなんなのか。

旅をしながら、そしてアフリカで生活をしながら、今でもフッとしたときに故人の夢を見る。そこにはいつも何らかの伝言が、様々な形で潜んでいた。そして、そのメッセージはいつも、水に乗ってやってきた。

その他の夢のエピソードを、このあともう少し書いていきたいと思う。

(②に続く)

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