瞳 ――ミュシャ「スラヴ叙事詩」展覧会から――

あまりにおほきく 見ひらくから
ふたつのくろめが
ごろんと こぼれおちさうだ
おまへが さうして おびえてゐるのは
おまへを見つめる わたしではなく
とどろきちかづく ひづめの音
松明の はじける音
草原をこがす 煙のにほひだ

わたしは ほかでも
おまへと目があつたやうな気がしたのだ
雪もよひの 灰色の空の下
おほきな教会が けぶる広場で
ききなれぬ あたらしい
みことのりを聞かされながら
着ぶくれた 深みどりの衣の
袖から つめたい指先をだして
ちひさな娘を ひしと抱き
母であるおまへは こちらを見つめてゐる

あるときは めしひた老人に
聖書を読んで聞かせる 少年
また あるときは
菩提樹のもとで たて琴をつまびく
春の花かんむりを つけた娘
やはり おまへのくろめと
わたしの目があふのだ

ときも ところも
違ふ絵なのに
わたしを ぢつと見つめてくる
〈おまへ〉は一体誰なのだらう
姿かたちも 違ふといふのに
その 瞳に 射すくめられるたび
たしかに ゐると思はされる
〈おまへ〉は一体
誰なのだらう


(2017年4月)

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