世界の終わりと世界の始まり 第四章②おばさんの質問
チェルシーマーケットのショッピングを終えた僕たちは、ハドソン川沿いのタワーホテルの最上階にあるカフェで、サンセットを眺めながら、ディナーの予約を待つことになった。
少し薄い雲がある空を、水彩絵の具の橙色と、薄紫をマーブルに塗りたくったような空が、広がっている。
僕は、美しいけれど、何か物悲しいようなハドソン川上の空を見つめながら、さっきのママの言葉が、頭の中をリフレインしていた。
本当に、子どもたちがそんなに行方不明になってるなんて信じられない。
誘拐、
人身売買、
臓器売買、
恐怖、
死、
リンチ、、、
そんな悲惨な言葉が頭の中をグルグルと渦巻き、
悲惨な光景の想像が時折頭をよぎる。
何か透明のカプセルに入って、雑音のない空間の中から、外の世界を見ているような、パノラマのサイレントムービーを見ているような感覚で、自分だけが無音の世界にいる。
目で見ている世界と、心によぎる悲惨な世界のどちらが本当なのか?
どちらも本当の世界なのか?
悲惨な世界は、ただの推測にすぎず、本当はそんなことあるはずないと信じたい。
目に映っている美しい世界だけが真実だと信じたい。
ラウンジには、裕福そうな人たちがたくさんいて、コーヒーやカクテルを片手に、楽しく会話をしている。
だから、周囲は割とザワザワしているはずだし、BGMもずっとかかっているのに、
僕の世界はシーンとしていた。
「カイト、行くわよ!
ボーッとしてどうしたの?
さっきから何回も呼んでるのに。
ディナーの時間よ。下の階に行きましょう。」
ママが、僕の手を握ってそう言った時に、初めて我に返った。
僕は、お父さんとママに挟まれて、階下のレストランに行った。
オープンキッチンのイタリアンレストランは、料理スタッフたちが、カウンター越しに、広いキッチン内で調理をしている姿が見えていて、とても活気ある雰囲気だ。
そして、ホールでは、黒服のカッコいいギャルソンたちがお料理やお酒を優雅にサーブし、ゲストたちもステキに着飾って美しい。
よく見るハリウッド映画の中のワンシーンを切り取ったような感じだ。
その映画のシーンの中に入っていく時は、どこか誇らしく、緊張し、背筋を伸ばしている自分に気づく。
僕たちは、ハドソン川が見下ろせる窓際の席に通された。
ステキなカクテルドレスを着たアジアンビューティーのマダムとセンスのいいツイードのジャケットを着た紳士が、先に席についてこちらに向かって手を振っている。
この日の食事は、おばさん夫婦との対面でもあった。
足早に近づくママをハグしようと、二人は立ち上がった。
紳士は、身長が高い。
きっと185cmくらいはあるだろう。
年齢的には2人とも40代後半といったところだけれど、富裕層特有のゴージャスな雰囲気で本当に映画スターのように輝いている。
僕は、さらに緊張した。
2人は優しい笑顔で、僕をハグしてくれた。
おばさんは、近くで見るとやっぱりママと似ている。
「カイト、ニューヨークへようこそ。初めてのニューヨークよね。たくさん楽しんでね。」と言いながら、僕を席に座らせるよう誘導してくれた。
声もママに似ている。
その声を聞いて、やっと僕の緊張はほぐれた。
大きなワイングラスを傾けながら、昔ママたちがニューヨークで暮らしてた時の懐かしい話を大人たちは楽しそうにしている。
夢心地なまま、料理を食べながら、僕は大人たちの話に耳を傾けていた。
そこで、初めて、ママたちが昔、このニューヨークで仕事をし、生活をしていたことが実感としてイメージ出来た。
「ところで、咲子あなた、どうして急に、ニューヨークを発って日本に帰るって言ったのだったかしら?
ジャーナリストとして、活躍していたし、雅俊さんだって、咲子がニューヨークに残るなら、そのままアメリカの大学にもポストあったのにね。」
おばさんがそう言って、僕は顔を上げてママの顔を見た。
「確かに、ニューヨークもジャーナリストの仕事も大好きだったわ。
何かがあったの。でも、、、、そのことを覚えてないの、、、。
ワシントンD.C.の取材に行って、何かの事件に巻き込まれたかなんかで、取材に行ったのに、何も持ち帰らず、ただニューヨークのオフィスに帰ってきた。
ボスに記事は?取材は?と聞かれたけど、どうしてか、ワシントンD.C.での記憶が全部なくて、、
頭がおかしくなったかと思って、病院で検査も受けたけど、身体はいたって健康だった。
その時の医師に言われたのは、極度の精神的ストレスで、健忘してしまうことがあるって聞いて、、、
編集長にもそのまま休むように言われて、、、
何か怖くなったの。
命があったことがもしかしたら奇跡なのかもしれないって。
と言っても、怪我も何もしてなかったから、何もなかったかもしれないんだけどね。
もうアメリカに来て長かったし、十分自由にさせてもらったって満足感もあった。
日本も懐かしくなったのよ。
雅俊さんにちょうどその時日本の大学から声がかかったから、、
帰国のタイミングが来たのかなって思った。
子どもが出来た時に、子育ても、日本の方が安全だしね。
わたしには、カイトが出来て、日本で平和に育てて、こうやって家族で、旅行に来れたことが幸せだわ。」
ママの話の中の"事件"という言葉が、また僕の頭の中で、グルグルと回っていた。