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【創作大賞2023応募】未来のためにできること〜「育」


地球上には、今までにあらゆる変化があった。
気候変動で、生きられなくなった恐竜のような生き物もいた。

絶滅した生命体もあれば、
進化を遂げた生命体もある。

人類は進化した。
人類が創り上げた巨大な国、都市や文明が出来ては、滅びた。

滅びた文明や国に住む人々が、全盛期の頃に、滅びる未来を予測できただろうか?

「一寸先は闇」
とはよく言ったもので、色々な予測のもとに準備をしたとて、本当にそれが正解かは、その時が来なくては、分からない。

それでも、わたしたち人類は、生き残り、また新たな文化文明を創り上げている。

生き延びた祖先のおかげだ。
何か問題が起こった時、
大変化がある時、
何かが終わりを告げようとしている時、
その先に進んでくれた先人たちがいたからだ。
生き延びた人が、生き延びられなかった人と違って持っていたものは何だったのか。

それは、直感力、判断力、知恵、実践力、そして運ではないかとわたしは思う。

今の日本の多くの学校教育は、それらを全く鈍らせている。

未だに暗記重視の授業とテスト。

考える時間を持てないほどの量の課題に追われ、自分の夢や、アイデアを反映できるような学習が削られる。

みんな同じ答えを要求するような問題で埋め尽くされたテスト問題。

大企業など、マスが支配する社会の一員になるための従順で、横の人に合わせる能力には、長けている。

私自身、高校は進学校、そして国公立の四年生大学に進んだ。
卒業を控えた最終学年の年、時代は、バブル期真っ只中で、就活をすればたくさんの内定がもらえた。
私も早々に4社からの内定をいただき、後は、卒論を仕上げれば、自分の乗ってきたレールをただただ順調に進む状態だった。

そんな時に思わぬ転機がやって来た。

私の誕生日、12月8日に歓迎すべきサプライズの来客が訪ねてきた。
それは、マークという当時文通していたドイツ人だ。

私が初めて、海外旅行に行ったのがドイツ。マークがうちに訪れた2年前だ。
当時、ドイツでダンスを学ばれたダンスの先生の研究生だった私は、先生たちと一緒にドイツでダンス講演の巡業の旅に出た。
その時に一緒に講演巡業をしたドイツのパフォーマーチームの一員で、私がホームステイをさせてもらった家の息子だった。
マークは日本に憧れを抱いていて、とにかく私と話すことが楽しいと言ってくれて、帰国後も日本の写真を送ってほしいという事で文通が始まった。
当時は、メールすらなく、もちろんSNSなんて存在しないから、紙ベースの手紙や写真をエアメールでたまに送りあっていた。

そのマークが、私の誕生日に日本にやってきたのだ。
日本にいつか行きたいという夢を叶えるためと、私にスペシャルなバースデープレゼントを届けるためだった。
スペシャルなプレゼントというのは、なんとドイツ行きのエアチケットだった。
当時、日本では格安のエアチケットは買う手段がなかったから、確かドイツ行きのエアチケットはエコノミーでも往復40万円ぐらいだったと思う。
マークが言うには、格安のエアチケットを、しかも父親が株主になっている会社で買えば5分の1ぐらいの価格で買えたので、それをプレゼントしたいと思ったと言うのだ。
そして、学生の間にドイツに来ないかと言う提案をしてくれた。

その時点で、やるべきことは卒業論文を仕上げるのみだった。
しかも、すごいのが、卒論の提出期限がその後、急に早まったのだ。
卒論を書くために属していたゼミの先生が、自動翻訳機の研究の一端を担ってられる方で、私たちもその都合上、関係するデータ集めを先生が研究発表される学会のある日までを期日とされたので、年末までには、卒論を仕上げることになった。
卒論を早々に提出した私は、学生生活最後に、もう一度行きたいと思っていたドイツで過ごすことを決めた。

二回目のドイツステイは、3ヶ月間だった。
一回目の来独の時は、日本以外の国を初めてみた私は、カルチャーショックを受けた。毎日が感動の嵐だった。
その時に、一生の間に出来るだけ世界中を訪れたいという夢が出来た。
自分が知らない世界、人々、習慣、文化、景色を体験し、体感したいと強く思った。
だから、時間のある大学生の間に、旅行をたくさんした。
そして、私の夢の原点であるドイツにもう一度行きたいと思っていたけれど、ヨーロッパに行くほどにお小遣いを貯めることが出来なかった。
そんな時に、思いもかけないプレゼントと空いた時間は、神様からのプレゼントだから大切に使おうと誓った。
だから、この二回目の渡独では、何か私の人生のヒントを掴んで帰るべきだと強く思っていた。

このステイは、わたしの今を創造した大きなキッカケとなった。

12月の最終週の日曜日、巨大なフランクフルト空港に着いた。

夜遅くに着いたわたしをマークとその姉のカーラが迎えに来てくれていた。

マークの家はケルン郊外の小さな町レムシャイドにある。
途中ケルンの大聖堂を通り過ぎた。
初めてこの大聖堂を見た時の感動を思い出し、二回目の感動をした。
あんなに心が震えるほどの感動も、時間とともに忘れていた。
でももう一度それを思い出した瞬間だった。

人はすぐに忘れる。
だからこそ、閉じこもっていないで、体験し心を揺さぶる。
そうすることで感性の振り子がちゃんと動く。

マークのお父さん、お母さんが出迎えてくれて、大きな身体でハグしてくれた。
「まずは、ゆっくりと休みなさい。」とキレイに片付けられたゲストルームに案内してもらった。

ここにまたやって来た。
デジャブのような不思議な感覚。
何かを見つけるステイにしたい。
心の中で再び誓った。

このドイツステイでも、わたしにとってたくさんの刺激があった。
そして、新しい人生の見方が備わった。

マークは歯科衛生士、カーラは看護師、マークのパパはガソリンスタンド経営、その他、建築家や体操教室の運営者の友だちと日常を共にする中で、どんどん新しい概念が入ってきた。

わたしの出会ったドイツ人たちは、家族や仲間を大切にしていた。
クリスマスイブは家族と過ごし、共に幸せであることに感謝してお祈りをする日。
だから、その日は都市のお店は、ほぼ午後から全てクローズ。

ニューイヤーイブは大切な人たちと過ごし、happy new year!でハグし合う。

日常は、アフターファイブを楽しみ、有意義な自分のための時間。
残業なんて誰もしない。

毎日、友だちとクラブへ行ったり、カフェやバーで語ったり、夜の街を散歩したり、わたしにとってはキラキラした日々だった。
ある日、マークに聞いてみた。

「みんな明日も朝から仕事なのに、こんなに遅くまで遊んでて、大丈夫?」

するとマークは「明日のことを気にして、今を楽しまないなんて、ナンセンスさ!」


今を楽しむ!

そう、この出来そうで、出来ていないのがこの感覚だ。
多くの日本人は、先の心配をして、手を打つために、何をするかを選択する。
また、過去の過ちを悔やみ、また失敗しないように今の行動を決めている。

わたしが出会ったドイツ人はこれとは違っていた。

例えば、マークはこんな話をしてくれた。

「歯科衛生士という仕事と今の人生は楽しんでいる。でもさらに、将来、父のように家族との時間をたくさん持てる状態にするには、歯科クリニックの店舗付き住宅に住みながら経営出来るとすごく幸せだと思う。
そのための歯科医になるための勉強を通信教育でしているんだ。」

一緒にアフターファイブを楽しんでいた仲間のマルクスという、建築家のたまごの話も面白っかった。

「僕は今住んでるところは、超高級アパートメントのモデルルームになってるペントハウスの部屋なんだ。その部屋の管理人として住んでる。プライバシー的には、ちょっとデメリットだけど、一流の建築家になるためには、一流の建物を知らないとと思ってたら、高級アパートメントの管理会社の就職先を見つけて、この仕事に就いたんだ。

今住んでるところが売れたら、また別の部屋に管理人として、引っ越さないといけないけど、僕にとっては、いろいろな物件を体験出来るし、お客さんが内覧に来る時と、部屋の掃除以外の時間は、しっかり勉強をする時間が取れるから、こんなに好都合な仕事と住処はないよね。それに今の自分じゃあんな高級な部屋住めないしね。普通なら、、、。ラッキーだったよ。」

これら二人の話は、わたしが言う多くの日本人の選択とは大きく違う。

よく日本人がやってしまいがちな行動パターンとして、先を心配して手を打つとか安定を求めるための選択をするというのは、うまくいかないことが前提にあり、そのために今の行動を決めることになる。

マークやマルクスの場合は、今の幸せを噛み締めつつも、さらに自分の人生を発展させるために今の行動を決めている。

人は今しか感知出来ないのに、今が楽しめなかったり、
心配や懐疑心に満たされた心で何かをやってるなら、生きるっていうこと自体が苦しみになってしまう。

マークのファミリーや友だちとの出会いと、共に過ごした日々は、わたしのその後の人生の方向性を変えるキーとなった。

マークの姉のカーラはナースをしていた。ドイツは医療先進国。
カーラはその中で看護師としての仕事に誇りを持っていた。
そして彼女がその時点で決めてたことは、半年後にニュージーランドに行くこと。
ドイツでの看護経験を大好きな国で活かしたいと彼女は言っていた。

志しと使命感を彼女はハッキリと発言できる素敵な女性だ。
ただなんとなく皆んなの就活に合わせて自分も就活をはじめ、
なんとなく好きそうな職種を選び、
雰囲気だけで就職先を決めたわたしとは大違いだ。

マークとカーラのパパはガソリンスダンドの経営者だ。
当時、日本ではセルフのスタンドは見たことなかったが、欧米ではセルフしかない。
だから、ガスステーションを構えていれば、ほとんど人も雇わず、自動販売機のようにお金を落としてもらえるシステムだ。
マークのパパ、ママは本当に24時間自由で、老後の心配もなく、豊かな心で子どもたちをおおらかに見守っていた。
彼らにとって一番大切なことは健康管理。
幸せな人生を出来るだけ永く送るためには健康であり続けることが第1の要素なのだ。
二人は、国営のジムは月500円でいつでも行けるからとほぼ毎日、午前中は出かけていた。

ドイツでお世話になった家族や友達たちの共通点は、人生の豊かさを謳歌し、それに感謝し、未来を明るいもので満たすためのチョイスで、今を楽しんでいる。

私は、そうありたいと強く思った。
2回目のドイツ滞在で、人生に対して全く違う考え方が出来た。
というよりこれは、子どもの時の思考パターンに戻してもらえたのかも知れない。

子どもの思考パターンこそ、一生大切に持つべきものなのだ。

小さな子どもって、今、何がしたいかが全てで、後先なく
「やってみたい!」
「それが欲しい!」 「知りたい!」
を口に出して、行動に移す。

気に入った遊びは時間を忘れてやり続け、気に入らなければ簡単にほっぽり出す。
大好きな人と一緒にいたいとはっきり表現し、興味がないことは、目に入らないのが基本。

安定をもとめる?
無難に生きる?
苦労は買ってでもする?

就活する時期の社会的子どもが、安定や無難さを求めるなんて、その社会が、親が、先輩たちがそう教育しただけなのでは無いか。
教育というか、オリで囲む、安全という名の縛り付けかもしれない。
一つの洗脳なのだと、わたしは思う。

そしてその結果、心療内科が大流行りで、20代の死亡原因1位が、"自殺"という悲惨な状態の社会は、間違いなく病んでいる。

そろそろやり方を考えなければ、考え方を変えなければ、
子どもたちの可能性の芽を摘むのを止めなければいけないのではないか。

「そんなことは、上手くいきっこないから、それは危ないから辞めなさい。」
と夢中になっているオモチャを取り上げるようなことを、大人たちが止めなければいけない時なのではないだろうか。

「小さな子どもたちのように、
自分たちで考えた遊びに夢中になってた頃のように、
やりたいことを自分で決めて、行動に移してみたらいいんだよ。
やりたいことを本気でやればいいんだよ。
失敗したっていいじゃない。
何度でもやり直せばいいよ。
人生は、冒険の連続の方が面白いからね。」
と若者たちに言ってあげれる社会が、理想の社会だと、わたしは思う。

子どもたちは、かくれんぼも鬼ごっこもお絵描きも夢中になれば何でも本気だ。

世の中の偉大なる発明家たちは、きっとそんな感覚で生み出してくれたのだ。
今、私たちが便利に使っている文明の力の数々を。

人はみんなそれぞれが、クリエイティブな生き方、好奇心が湧くようなこと、または、志を持って取り組めることを選べれば、幸せなのでは無いだろうか。

だって、それなら、それぞれの人生を夢中で生きられるから。

このような考え方を持つわたしが出来上がったのは、第二弾ドイツステイが大きなキッカケだった。

ドイツから帰国した日、私は空港から帰宅の途につく間、奇妙な感覚だった。

なんか日本って病院ぽいというか軍隊ぽいというか、
なんとも暗く堅苦しく統制された雰囲気が漂っていて、
大人たちの目が輝いてなくて、
面白くなさそうで、
同じ方向に流れるように、
まるで行進のように歩いているように感じた。

ダークグレーな世界、、、

ドイツの街並みを歩く人々の表情とは、言葉では表現しにくい違いをハッキリと感じた。
わたしのメンターのM氏も、
イタリアに1年ステイし、帰ってきたときに同じことを感じたと言われていた。

「この感じに、慣れ染まってはいけない!」その時の正直な心の声だ。

わたしは帰国後、思い切って、人生の方向転換をした。
まずは、内定していた入社予定の企業に電話をして、入社をキャンセルした。
当時では、四年制大学を卒業して、フリーターをチョイスするなんていうことは、世の中的には随分変わっていて、許されない風潮さえあった。

でも、周りにどう思われるかよりも、
自分がどうしたいか、
どうなりたいか、
から発信した行動を今とること!
が新しいわたしの決断だった。

親や周りをどう納得させたかは、もはや覚えていない。


今となってはっきり分かることは、その入社キャンセルが、その後のわたしの人生のスタートだったことは間違いないということだ。

その時点では、何をするのか、したいのかがはっきりしていた訳ではなかったけれど、新しい道を、そして、ワクワクする道を見つけるためにアンテナを張りながり、動き出した。

そして今、私は、その時の土台の上にたくさんの経験を積んで、波瀾万丈な人生を進みつつ、現在幸せすぎる人生を送っている。
3つの事業を手掛け、プライベートも充実、そして、子どもの頃からの夢だった作家になるという生き方の入り口にいると自負している。

もちろん敷かれたレールに乗って生きていくことが悪いと言っているわけではない。
穏やかな凪の海を静かに進む大型客船のように、人生が運ばれていくことを望む人もたくさんいるだろう。

けれど、新型ウィルスのパンデミックによって、社会は一気に変化してしまうことを、否応なしにも、世界中の人が感じたはずだ。

そして実際に価値観やシステムも変わってしまったことがたくさんある。

さらにこれからは、マスの中で生きる一員から、もっとそれぞれが個人で生きていき、お互いを認め合った個の集団が、一つの社会を創り上げるような全く違うスタイルに変わっていくだろう。

そんな社会の中で、自己判断力や直感力を鈍らせてしまった人は、取り残されていくし、社会の中で健全に生きにくい世の中に変化するだろう。

だからこそ、一番必要なことは、早急に教育そのものを見直し、改革しなくてはいけないのではないだろうかと、わたしは結論づけた。
そう、小さな子どもの思考パターンを壊さずに、それを育てていく教育が必須だと思う。

大量生産型のいい子ちゃんを作る教育システムから脱却し、子ども一人ひとりが、その個性を自覚して、能力を伸ばし、自発的に発言や行動のとれる人に育っていく教育がこれからの世界には必要不可欠だろう。

自分自身がまずは、発信していくべきだと思い、現在、フリースクールの構想を練っている。

コンセプトは、ハッキリと決まっている。

「自分の才能に気付き、全ての出来事から大切なことや本質的な事を学びとる力と実践力を養う。」

自分軸で生き抜く力を養う教育システムを作り、次世代を逞しく生きていける人を輩出していくことこそ、
今私たちが未来のためにできることだ。



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