実るほど 頭を垂れる

ごく当たり前のことなんですが、
会社勤めの方の場合、自分の年齢が上がるにつれて、上司が年下という割合も増えてくるわけですよ。
老後の年金もあんまり当てにならないご時世ですから、誰しもが生涯現役で働き続ける可能性は日々高まっております。
で、もし70代・80代くらいまで働くとしたら、自分の子どもや孫、下手するとひ孫くらいの年齢の上司から、仕事の指示を受ける可能性も確実に増すわけです。
もはや昭和の時代のように年長者が必ずしも尊重されるわけではないので、高齢者が孫ほど年の離れた若い子に頭を下げて教えを乞う場面も、現実に目にする機会が増えてきました。

そういう話を他の人にすると、「自分より年下の社会人経験の少ない子に頭を下げるなんて絶対にイヤ! プライドが許さない!」と反発されたりすることがあります。
そうならない為にキャリアを積み、勉強しスキルアップを欠かさないという意欲的な方もおられるでしょうけど、
しかし人生の途中、思いがけない病気やケガ、育児や介護やリストラ等で離職せざるを得なくなる場合もあると思うんですよね。
或いは会社内での異動や転勤等で、今までとは全く異なる業務に就く可能性も大いにあり得ます。
どれだけキャリアや肩書きがあろうとも、再就職や部署異動をすれば、最初は誰かに教えてもらう立場になり、自分よりもはるかに若い上司や同僚から指導を受けたり、叱責されたりするかもしれない。
そういう可能性を考えると、年齢や経験等に関係なく、普段から他人に対し謙虚に接して教えを乞う姿勢って大事なんじゃないかなぁ…と、この頃、しみじみ思うんですよね。

どうしても年をとると、人生経験が豊富な反面、保守的になったり独善的になったりで、若い人の意見を軽視しがちなんですけど、
若い人の方が自分よりも新しい知識(更新された知識)を持っていることも多いわけで、
目まぐるしく色々なことが移り変わっていく時代だからこそ、仕事の面でも生活の面でも、昔ながらのやり方に凝り固まったりせず、柔軟に謙虚に若い人に教えを乞うて、自らの知識を更新していく必要があるのではないか…と。

「実るほど 頭(こうべ)を垂るる 稲穂かな」
私はこの諺(ことわざ)が好きなんですよ。
人生経験の豊かな人格者ほど誰に対しても謙虚に頭を下げるものです。無意味な虚栄心を持っていない。
願わくは、尊大で偉ぶっている老人よりも、謙虚に頭を垂れる稲穂の老人になりたいです。

若い人の立場で考えると、自分の親とか祖父母くらいの年齢の方が自分の部下になった場合、指示を出しても機敏に動いてくれなかったり、仕事の手順や内容をなかなか覚えてくれなかったりして、イライラすることも多かろうと思う。
でもいずれ自分も年を取れば、その立場が逆転するかもしれないことを想像してみて下さい。目の前のご老体は、何十年後の自分の姿かもしれんですよ。
諸々の不満はおありでしょうが、少しの想像力と思いやりを持って接して頂けるとありがたいです。



【追記】

いやいや待て、上司が年下とかよりも、そもそも70代・80代になってまで働きたくないです!!ていう方も多いであろう。
ただ、個人的な所感としては(趣味やライフワークに没頭している方は別として)定年退職後もずっと働いておられる方のほうが、働いていない方よりも、皆さんイキイキと元気なのよな…。
いや、そもそも元気だから働けるという面もあろうが、働いている高齢者は腰やら膝やら体調面での不調はあっても、生活全般に前向きで意欲的な感じがします。

男性の場合、仕事中心で無趣味で生きてきて、定年退職後いきなり何もやることが無くなってしまうと、家に閉じこもりがちになり、足腰が急激に衰えて寝たきりになったり認知症になったりする例を、身の回りで多く見てきました。
女性の場合は、子どもが独立して母親としての自分の役割を終えたと感じた時に、同様のことが起きやすい気がします。
逆に、お子さんの看護や介護が常に必要な親御さんの場合、高齢になっても元気な方が多いような気がするのは、子どもの面倒を見るのは自分だという使命感からなのかしら…とも思ったり。

つまり人間は、何かしら役割とか責任感がないと生活に張りが出ないらしい。
とりわけ、他人と関わらない生活をしていると急激に心身が衰えてくる。その意味で社会的な生き物なんだなぁと思う。
なので、没頭できる趣味やライフワークがない方は、高齢であっても、週に何日か何時間かでも、可能な限りは働き続けたほうが、自分にとっても家族にとっても(介護負担を減らす意味で)良いんじゃないかなぁ…と、考える次第であります。





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