vol.30 グレーは生き方を楽にする
こんばんは!2022年も残り12日!
あと2週間ないと思うと凄いですね〜。早い〜。
私は9月からキャリアコンサルタントの勉強を始め、12月からスクールに通学しはじめました。下半期大忙し!やっぱり新しく学ぶこと、興味のあることを知ることは大人になっても(むしろ大人になってから?のほうが)楽しいですね!!
この前ちょうどスクールの先生が、人と比較をしてしまうことについて話してて、面白かったのが「人は朝起きてから寝るまでずっと人をジャッジしているんだよ」という話でした。
そんなことある?って思ったんですが、
・この人、優しいな
も、ジャッジ。
・この店員態度悪いなぁ
も、ジャッジ。
・この人口臭いなぁ
・旦那が全然家事してくれないなぁ
・綺麗な人だ!
・あ、イケメン!
・隣の人うるさいなぁ
などなど、
常にジャッジ(評価)していると。確かになと納得ました。人と会っていなくてもチャットでのやり取りで、この人なんでこんな言い方するんだろうとか、とかもジャッジですね。すごい。先生の言うとおり、人ってずっと人のこと評価してるじゃん。と改めて気付かされました。しかもその人の主観で。
で、別視点から似たようなことで昔読んだ本にこんな記事がありました。
これはさっきの話と逆視点。人は人からどうみられているかだけを悩んでいる、と。
人のことをジャッジしている、そんな自分。
そして人にはどうみられるかを気にして悩んでいる自分。つまり自分のことも自分でジャッジしてる。
人のことを毎日評価してるんだからそりゃ自分も評価されている側にくるのは当たり前でそれについて悩むと。人間って非常に面白いですよね。
この面白さ伝わるといいな。
じゃあもういっそ、みんな比べてもいいけどジャッジしなきゃいいんですよ。無。無の境地。
☆あの人より私は背が低いなー
→ジャッジした時(いいなー私は身長低いからダメだなー)
→ジャッジしない時(ほうほう、以上。)
なんで身長低いとダメなんですか?
そのジャッジは国が変われば、コミニティーが変われば、比べる人が変われば覆るジャッジです。
先生が伝えたかったことも、人と比較して落ち込むことが多い場合はジャッジの着眼点の数を増やそうとのこのでした。
「正しいか、間違っているか」
「上手か、下手か」
「効率的か、非効率的か」
「有益か、無益か」
「マルか、バツか」
・・・・のようなどっちかの世界ではなく
白でも黒でもないグレー。のように、もっと多元的に、多角的に相手をとらえるようにするのです。自分が他人にするジャッジの幅が広がると、結果として人と比較することがなくなってきます。そして自分に起こることに対して(外見や特徴や性質や得意不得意や才能など、比べられること全て)ジャッジもグレーになるし、自己肯定感が高い人って自分をジャッジせずに、それらをデータとして見ているんですね。だから解決策も冷静に分析できるし、自分を認められるし、だから何?って感じ。あら不思議。そもそも比較自体は悪くないのですが比較して落ち込むことがなくなります。せっかくなら肯定的なジャッジをしていった方がが多いほうがいいですよね。
他人にも自分にも厳しいジャッジをしがちな人、ちょっと見直してみて肩の力抜いてリラックス〜しましょ!何か見えてくるはず!
では!
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