自己肯定感を考える1~ありのままの自分~
みなさん、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?ちゃあこです。
さて!今回から常に世間で騒がれている、自己肯定感について考えていきましょう!
自己肯定感とはそもそも
ありのままの自分を肯定する感覚
ですが、その感覚が私には全然理解できませんでした。
というのも、私はありのままの自分を出せば否定され続けた環境にいたからかなと思います。
そういう方多いのではないでしょうか?
自己理解の本を読んでワークをしていました。
短所、才能、長所が1000個書かれている表からまずは短所に注目して◯をつけていくワークです。
とりあえず短所に◯をしていくのですが、そこで長所や才能も同時に同じ数見つかるということに気づきました。
短所ばかり突かれまくって苦しい思いをしましたが、今思えばその分長所もあることに目を向けられてなかったのです。
短所=相手が私に対して嫌だと思うところという概念が、短所=相手が持っていなくって私に羨ましいと感じているところに変わりました。
夫に相手への気遣いができていないと言われました。でも私は0%相手に気遣いできないわけではないです。なぜなら、保育園でプール用のラップタオルに名前を書く際『先生方はどこに名前が書いてあればわかりやすいだろう』と思い『先生方はどこに名前が書いてあれば忙しい中でも見やすいですか?』と質問しにいきました(スナップボタン付近に名前があるとありがたいといった回答でした)
それって先生方への気遣いがないとできない質問ですよね。私はちゃんと気遣いはできます(猛アピール)
ただ、過去に外でもプライベートでも気を遣いすぎて潰れたという経験があります。なので、立場をわきまえて気を遣う時、ありのまま手を抜く(いい意味で手を抜くということです)自分でいる時と分けてやっているという切り替えができるのかなと思いました。
あと、素の時はけっこう真顔になるので家族に怒っている?と言われたこともあります。家族の前でもちゃんとニコニコしよう☺️と努力しましたが
プライベートで完璧は無理。
という結論に至りました。
生きていく中でありのままでいる、手を抜く瞬間とスイッチ入れて対応する瞬間を自然と身につけていたのです。ただそれが夫や実家から見たら手を抜いてると見られがちでした。だからいつも手を抜いて見られないかビクビクしていました。
私の実家がみんな全力を尽くせ!というスタンスだったから能力をなかなか発揮できませんでした。本読んでてそういうことか!発揮していいんだ!発揮してないから苦しかったのか!と腹落ちしました。
なので今回の他人への気遣いができないと言われたことに対しては
"気遣いはできるが、プライベートだったため、たまたま超気遣いモードで対応していないところを見られた"で済みました。
気遣いする時とありのままでいる、手を抜いて対応できる時を使い分けることができる自分に憧れを持っているんだなと思うことができます。
逆に夫は常に全力で私たちや社会に尽くしているんだなと思いすごいなと思います!
他の人にない能力だから短所として指摘されるけど、実はそれって長所なんだ!認めていいんだ!と思えるようになりました。短所をまともに自分の悪いところで自分には悪いところしかないんだと解釈してたらそりゃ潰れるわ💦自己肯定感なくなるのも当然ですね。
ただ、今回思ったのが手を抜いてる時が特に親しい人には明らかにバレバレなので、そこは少しカバーをしてうまく発揮できるように対応します!
短所と言われても長所を言われてると捉えるようにして長所を伸ばして苦手なことはカバーしていくようにします!
次も自己肯定感について考えます!
余談ですが、ネット見てる限り私やっぱり裏表ないですね笑笑
気遣いはしますが、思ったことはストレートに言います笑笑
自分のことわかってきて楽しい!!!!!
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