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他人と暮らすこと


去年の夏ごろから、私は共同生活に身を置く時間が長くなった。

かつての私は、人の家に住むことや、シェアハウスに住むことなんて絶対無理~!!!と思ってた、他人が常にいる空間絶対無理人間だった。

他人がいる=常に気を遣う=リラックスできない=自分の時間が取れない=ストレスが溜まりまくる!
って思ってた。実際、学生時代とか、友達の家で飲み会してみんなそのまますやすや眠ってるんだけど、人の家で寝れないから深夜に一人で帰宅したり、始発ですぐ帰ったり。とにかく「早くひとりになりたい」って常に思ってた。

他人と生活することの喜び


そんな私が、今もこうしてシェアハウスにいるのは、他人がいるデメリットよりメリットや喜びがおおきいことに気づいたから。

高千穂でWWOOFをした時、みんなでご飯を作って食べることの豊かさを心の底から感じた。
そして朝のシェアリング。
その日の体調や心の状態をありのまま、包み隠さずシェアする。
最初は躊躇するんだけど、ネガティブなことも話してみることで、より相手に近づけるし支えることができる。受け取る側の器も大事だけどね。
そこで自分がどう反応するか、も自分を見つめるきっかけになるんだよね。

自分の時間は意識しないと取りづらい。
場の空気に乗っていると意外と、疲弊している自分を無視してしまうこともある。
でも、そんな自分の状態も包み隠さずオープンにしてもいいんじゃないか。


開けられない部屋

イメージの話だけど、私の中には絶対に人に見せない部屋があって、
玄関や居間までは、気持ちよくウェルカムしておもてなしするんだけど、自分の部屋には絶対に人を入れない。
こうやって他人とはずっと、ある程度の距離をとっていた。

自分好みに作った居心地の良い、誰にも邪魔されない安心安全の場所。

でも、本当はずっとこの部屋を見てほしくて
他人を招き入れてみたくて、入ってきてほしくて

でも恐怖が勝る
傷つくことが本当に嫌なんだ

私の部屋は、どう見えるだろうか?
もしかしたら気持ち悪いと思われるかも
好きと言ってくれる人もいるかもしれない
汚されるかもしれない
もう私の安全の場所はなくなってしまうかもしれない

きっとずっとこんな気持ちを抱えたまま生きてきて、
なかなか自分をオープンにすることをあえて避けていた。

でもさ、去年の夏ごろから
「もう開放したいー!」
って気持ちが募り始めて。もういいよオープンしようよって。
自分をさらけ出した自分を見たくなった。

その部屋の鍵の開け方を私は今探している最中。

自分で中から開けるのか
外から誰かに開けてもらうのか

カギは見つかった気がする
あとは少しずつでもいいから、扉を開けるだけ。



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